スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

ウィリアム・ステッド霊が語る、死後の幽界(極楽)の様子について


こちらの本からお借りしています(大変残念なことに、すでに絶版になっています)

タイタニック沈没から始まった永遠の旅



(※ タイタニック号の事故後です)

自分でも何か何だかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、大きな乗り物とおぼしきものに案内してあげました (※ ステッドさんは事故直後からご自身の身を挺して事故直後から多くの人を助けています)

やがて、すべてが終了しました。 まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。 言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。

ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も相変らず生きているのです。


そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物-というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。

そこに集まっている人たちの情景は、それはそれは痛ましいかぎりでした。
死んだことに気づいた者は、あとに残した家族のことと、自分はこれからどうなるかが不安のようでした。
このまま神の前へ連れて行かれて裁きを受けるのだろうか-どんな裁きが下されるのだろうかと、おびえた表情をしておりました。
精神的ショックで、茫然としている者もいました。何か起きたのかも分からず、無表情でじっとしています。精神がマヒしているのです。

こうして、新しい土地での評決を待つ不思議な一団がそこに集まっておりました。


事故はほんの数分間の出来事でした。
あっという間に大変な数(1500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、波間に漂っておりました。
が、その死体から脱け出た霊が次々と宙空へと引き上げられていったのです。
生きているのです。

中にはすこぶる元気なのもいました。死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても掴めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。
もちろん、タイタニック号が氷山と激突した時のシーンはあまりいいものではありませんでしたが、否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。 胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。


その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったところで、新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。


奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。
それが強烈な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持ちがしないのです。まったく安定しているのです。


その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。 が、到着した時の気分の素敵だったこと! 鬱っとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。 全てが明るく、全てが美しいのです。

近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。
神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。


いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。 環境のすべてに実体があること、しっくりとした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変らないことを知ったからです。
違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。

しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。 そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。


訳者注釈--他界直後の体験、すなわち死後の目覚めの様子を綴った霊界通信を数多く翻訳してきた私も、これほど劇的な内容のものは初めてである。
死に方が異なれば死後の目覚めも異なった形を取るのは当然であるが、大惨事でおびただしい数の犠牲者が出た場合は、地上でも救出活動が大々的に行なわれるように、霊界においても "見えざる力″によって大規模な救出活動が行なわれることが、これでよくわかる。
これに関連した話で興味深い記録を紹介しておく。ステッドはそれから4年後の1916年に、米国の精神科医カール・ウィックランド博士が行なっていた招霊実験会に出現している。

(その時の様子は、こちらの本に書かれています。

迷える霊(スピリット)との対話―スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年


*****


前章では死の直後の様子と、ブルーアイランドヘ連れてこられる道中のことを、少しばかり述べました。 本章ではブルーアイランドに到着した時の最初の印象と体験を2、3述べてみたいと思います。

最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によく分からないということです。
時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。

さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。 何だか私には外国へ来て親しい仲間と出会ったという感じがする程度で、死後の再会という感じはしませんでした。 それがその時の正直な心境です。

つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。
死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。つい昨夜のことなのに、まるで五十年も前のことのように思えました。 お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって半減されるということにならずに済みました。

タイタニック号の犠牲者の全員がそうだとは申しません。少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。
が、それも、二つの世界の関係について何の知識も持たないからにほかなりません。 そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。
それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、"ちょっとそこいらを見物してくるか"といった気楽な気分でした。 悲しい気分など、まったくありませんでした。


(省略)


父と私、それに友人の三人で、さっそく見物に出かけました。
その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身につけておりました。一体どうやって地上から待ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。
そう言えば父も、地上で私か見慣れていた服装をしておりました。何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然 ― 地上とそっくりなのです。

出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと - 私にとっては私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たち- のその後の消息のことになりました。
互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。

もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味がかっていることでした。英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いて言えば、緑がかった灰色とでも表現できましょうか……。
が、この土地には歴然として色彩があります。文句なしにブルーなのです。明るい色合いの、濃いブルーです。住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が "ブルーの国″なのです。

そのことを父に訊ねてみました(余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。父子というよりは兄弟のような感じすらしました)
すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。

"まさか!" と思われる方が多いことでしょう。
しかし、よく考えてみられるとよろしい。 地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。わずかに一歩だけ上の段階-それもごく小幅の差しかありません。
そうやって一歩一歩、向上と進化を重ねていくのです。人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。 死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。


さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ三人は、そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。
そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。 その人たちが自由闊達に動き回っているのです。

ただし、ここで生活している人たちは、自分のことを第一に考えた行動をしています。自我を確立することに専念しているのです。
地上では自分中心主義はいけないことですが、ここではそうでないといけないのです。本人にとっても、全体にとっても、そうでないといけないのです。
そうしないと進歩、というよりは精神的回復が望めないからです。

そうやって各自が自分の精神的確立に専念することによって、結果的にブルーアイランド全体に平穏が行きわたることになります。他人のことは一切かまわないのです。
自分のためだけを考えて、他の存在をほとんど意識していないのです。


そこで見かけた人の中に、私の知っている人は多くはいませんでした。
最初に私を出迎えてくれた人たちも、いつの間にか姿を消して(※)、父と友人だけになっておりました。
そうと知っても別にさびしくは感じませんでした。むしろそのことが、新しい環境へ関心を向けさせることになりました。


訳者注釈--このブルーアイランドは ″中間境” とでもいうべき界層で、ここを卒業して "本土”というべき界層へ入っていくと、地上とは比較にならない、活溌な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。
ステッドも後半の通信でそのことに言及しているが、そうなると地上との縁が薄れるのかというと決してそうではなく、むしろ上層界の事情にも下層界の事情にも通じる範囲が広がるという。

そんな次第で、かつて地上で縁故のあった人間が他界する時は、すぐにそれを察知して、その中間境まで出迎えに降りてきてくれる。
それは、ただ懐かしいからという情緒的な要素もないわけではないが、死んだことを自覚させる目的も兼ねているので、一見してそれと知れるように、死んだ時の風貌や服装を身につけているのが通例である。
が、用事が終ると、それぞれの本来の所属界へと帰っていく。

そうした霊にとって残念なのは、せっかく出迎えてやっても、本人が地上的なしがらみや間違った信仰、極度の悲しみや憎しみを抱いたりしていると、その存在に気づいてくれないことだという。
その種の人間がいわゆる "地縛霊”となっていき、地上の縁ある人たちに良からぬ影響を及ぼすことになるのである。


(略)


【訳者あとがきより】

ここで私か詳しく取り上げたいのは、その霊的進化の道程、つまり死後の界層の全体像である。

ステッドはこの通信ではきわめて断片的にしか扱っておらず、簡略的すぎる憾(うら)みは拭えない。
その点マイヤースはかなり具体的に叙述してくれている。
といっても、物的世界の表現手段である言語では説明できない側面があるので、ある限度以上のことは直観的な洞察力による理解にまつしかないであろう。
マイヤース自身、カミンズの記憶の層にある語彙だけでは不十分とみて、カミンズに必要な分野の書物を読むように指示するなどして、万全を期している。

それでも、上層界、そして超越界の叙述は抽象的な表現が多くなっている。


さてその区分けであるが、マイヤースは地上界を第一界とし、ステッドのいうブルーアイランドに相当する界層を第三界、その中間境を第二界としている。
そして第四界が地球圏の範囲における最高界で、第五界からステッドのいう実相界となり、第六界が形体に宿った存在の最高界で、第七界が超越界、すなわち "無" の世界へと突入する。
絶対神と一体となり、無限・永遠・絶対といった用語で表現されているものが完全に理解できる境涯であるという。 そこがいわゆる″創造界″で、『個人的存在の彼方』の中で「創造された者が創造者の側にまわる - そこに生命と宿命の秘密が存在する」という名文句で結んでいる。


ここで図を見ていただきたい。
これはコナン・ドイルが1930年に他界して、半年後の1931年1月から2年間にわたって、女性霊媒グレイス・クックを通じて届けてきた霊言通信の中に出ているイラストに、私がドイルの解説とステッドやマイヤースの通信を参考にしながら加筆修正したものである。

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ご覧の通り、死後の世界を大きく三つに分け、それぞれに三つの境涯があるとしている。
ステッドのいうブルーアイランドはここではサマーランドと呼ばれており、そのあとに "第二の死”が来るとしているのが目新しい特徴であるが、これは一種の無意識状態に入る程度のことである。
その長さは地上の時間にして数秒の人もいれば数分の人、、数時間の人、数日の人、とまちまちで、長い人は何年も続くことがあるという。

これをマイヤースの分け方と対照してみると、マイヤースのいう第2界から第4界までがドイルのいうアストラル(幽界)で、第五界がメンタル(霊界)、第六界がセレスティアル(神界)、そして第七界が超越界ということになろう。
浅野和三郎が提唱した幽界・霊界・神界がとぴったりと当てはまるところに興味がある。

それはともかくとして、こうした高次元の世界の図解を見る際に忘れてならないのは、これは内的世界を平面図で表現したものであって、高層ビルのように階段状に層をなしているわけではないということである。

地球自体が回転しているという事実からもそれは有り得ないことで、"上" とか "下”とか "向上″とか "下降" という言い方は、あくまでも霊的意識の開発、ないしは覚醒を表現していると理解していただきたい。