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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

死んだらどうなる?(2)-死後のプロセス

■ 死んだらどうなるのか?



昨日の続きです。

今回もこちらの本からお借りしました。
シルバーバーチの霊訓 第三巻
 より

:::::::::::::::::::::::::::::::::

P15

さて、以上はすべて平和時の話です。
これが戦時下になると、いろいろと問題が厄介になります。
なにしろ何の準備もできていない、何の用意もしていない人間が大挙して霊界に送り込まれてくるのですから。
みんな自分が死んだことすら知りません。

気の毒ですが、その大半はしばらく好きにさせておきます。
意識が霊界よりもはるかに地上に近いからです。

手出しができないと観念して側でじっと見つめているのは、私たちにとっても悲しいものです。
実に心苦しいものです。
しかし事情が事情だけに、彼らの方に受け入れ態勢が整うまでは、いかなる援助もムダに終わってしまうのです。
言わば完全に目隠しをされているのと同じで、われわれの存在が見えないのです。
死んだことにも気づかずに死んだ時と同じ行為を続けております。

地上戦で死んだ者は地上戦を、海上戦で死んだ者は海上戦で、空中戦で死んだ者は空中戦を戦い続けます。
そしてそのうち ― 期間は各自まちまちですが ― 様子が少し変だということに気づき始めます。

全体としては以前と変わらないのに、気をつけてみるとどうもつじつまが合わない。
奇妙な、あるいは不気味なことが繰り返されていることに気づきます。
殺したはずの相手が死んでいない。
銃を撃ったはずなのに弾丸が飛んでいかない。
敵の体に体当たりしても相手は少しも動かない。

触っても気がつかない。
大声で話しかけても知らん顔をしている。
そしてその光景全体に霧のような、もやのような、水蒸気のようなものが立ち込めていて、うすぼんやりとしている。

自分の方がおかしいのか相手の方がおかしいのか、それもわからない。
時には自分が幻影に迷われているのだと思い、時には相手の方が幻影の犠牲者だと考えたりします。

が、そのうち ― 霊的意識の発達程度によってそれが何分であったり何時間であったり何日であったり何ヶ月であったり何年であったり何世紀であったりしますが ― いつかは自覚が芽生えます。
その時、やっと援助の手が差し伸べられるのです。

一人ひとりその接触の仕方、看護の仕方が異なります。
自分が死んだことがどうしても信じられない者にもいろんな方法が講じられます。

地上と隣接する界層に連れてゆき、そこで地縛霊を扱っている霊団にあずけることもあります。
本人の知っている人間ですでに他界していることもよく知っている人のところへ連れてゆくこともあります。
疑う余地がないわけです。
このように同じ目的を達成するにも、さまざまな方法を講じるのです。

さらには一時的にエーテル体、つまり霊的身体を傷められたために看護してやらねばならない人がいます。
いわゆる爆弾ショックのようなものを受けた者です。
意識がもうろうとしており、手当てが必要です。

こちらにはそういう患者のための施設が用意してあり、そこで適当な手当てをして意識を取り戻させ、受けた打撃を取り除いてやります。
あくまで一時的な傷害です。
そのことをぜひ強調しておきたいと思います。

地上での死因がいかなるものであれ、それが霊体に永久的な傷害を与えることがあるように誤解されては困るからです。
そういうことは絶対にありません。
正しく矯正すれば跡形もなく消えてしまいます。
完全に回復します。

もう一つ強調しておきたいことは、自ら望まない限り、何の看護もされないまま放っておかれる人は一人もいないということです。

迎えに来てくれる人が一人もいないのではないか?などという心配はご無用です。
縁故のある人がいますし、それとは別に、愛の衝動から援助の手を差し伸べようと待機している人も大勢います。
誰一人見捨てられることはありません。


(省略)


今どこそこで誰が死の玄関を通り抜けたかが察知され、直ちに迎えの者が差し向けられます。


(空襲で一緒に死んだ家族は霊界でも一緒か?という問いに)
それは一概にはいえません。
これは答え方に慎重を要する問題です。
落胆される方がいては困るからです。

一つには再びいっしょになることを望むか望まないかに掛かっています。
死後の世界での結びつきは、結ばれたいという願望が大切な絆となるということ、そして地上では死後あっさりと消滅してしまう絆によって結ばれている家族がいるということを理解ください。

もし家族の間に何か共通したものがあれば ― 例えば自然な愛とか情とか友愛といったものがあれば、それによってつながっている絆は切れません。
夫婦関係と同じです。

地上には結婚という "しきたり" だけで夫婦である場合がたくさんあります。
霊的には結ばれていないということです。
結びつけるものが何もないということです。

こうした夫婦の場合は、死が決定的な断絶を提供することになります。
が反対に、霊的次元において結ばれている場合は、死がより一層絆を強くします。

事情によっていろいろと異なる問題です。

(訳者近藤氏注  シルバーバーチが "落胆される方がいては困るから" 慎重を要する問題だと言ったのは、相対的に言えば、家族的な絆はそう長続きするものではないのに、現段階の人類はあまりに情緒的な絆が強すぎて、むしろそれが霊性向上の妨げにさえなっている事情を踏まえてのことであることを理解すべきである)