読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

霊界からの通信記録)Wステッド氏の本から。「今の思念が死後の自分の居場所を決める」



今日も、W・ステッド著 「タイタニック沈没から始まった永遠の旅」からお借りしてご紹介したいと思います。

f:id:kabbalah-suuhi358:20150921203638p:plain

著者の ウィリアム・トーマス・ステッド さんについて ⇒ ウィキペディア

こちらの本からお借りしています↓
タイタニック沈没から始まった永遠の旅

*****

七章 思念の力

(省略)

この事実から地上のみなさんにご忠告申し上げたいのは、そういう具合に、人間が心で念じたことはすべて相手に通じておりますから、想念の持ち方に気をつけてほしい、ということです。

想念にもいろいろあります。
そのすべてがこちら(※ 死者・霊界) に届き、善きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼします。

霊の方はそのすべての影響をもろに受けるわけではありません。
意図的に逃れることはできますが、逃れることができない者がいます。
それは、ほかでもない、その想念を発した地上の本人です。
想念は必ず、本人に戻ってくるものだからです。

今私は、すべての想念が届く、と申しましたが、これには但し書きが必要です。
『心をよぎった想いの全て』 が届くわけではありません。
特に強く念じた思い、片時も頭から離れないもの、という意味です。

摂理の観点から言えば、心に宿したことは、大きいことも小さいことも、それなりの反応はあるはずです。
が、影響力という点からいえば、たとえば恨みに思うことがあったとしても、それが抑えがたい大きなものに増幅しない限り、たいして重大な影響は及ぼしません。

ですから私が ”すべての想念” と言う時は、思いやりの念にしろ邪悪なものにしろ、一心に集中している場合のことを言っているのであって、日常のあれやこれやの ”よしなしごと” のことではありません。
が、そういう前提があるにしても、心に宿した想念がなんらかの形で他に影響を及ぼし、最終的には自分に戻ってくるという話は、容易に信じがたい人が多いことでしょう。
しかし事実なのです。

実はみなさんは、同じ影響を、人間同士でも受け合っているのです。
たとえば、あいてがひどく落ち込んでいる場合とか、逆にうれしいことがあって興奮気味である場合には、あなたも同じ気分に引き込まれるはずです。
それは言うまでもなく、精神的波動のせいであり、沈んだ波動と高揚した波動がその人から出ているわけです。

強さという点では両者は同じです。
しかし、その作用のしかたが異なります。
強烈な思念の作用も同じ、と思ってください。

それを向けられた当事者は、そうとは意識しないかもしれません。
が、無意識のうちに、大なり小なり、その影響を受けているばかりではなく、大切なのは、想念そのものはそれを発した人の精神に強く印象づけられていて、表面上の意識では忘れていても、事実上、末永く残って影響を及ぼしていることです。

死んでこのブルーアイランド(※ 中間境、幽界) に来ると、その全記録を点検させられます。
ガウンを来た裁判官がするのではありません。
自分自身の霊的自我が行うのです。(※ 守護霊でも他の、どんな高級霊でもありません)

霊的自我はそうした思念的体験を細大もらさず、鮮明に思い出すものです。
そしてその思念の質に応じて無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。

その内容次第で、もう一度地上に戻って、無分別な心と行為が引き起こした罪を、大きい小さいにかかわらず、すべてを償いたいという気持ちになるのもその時です。
私がみなさんに、地上生活において、精神を整え、悪感情を抑制するようにとご忠告申し上げるのは、そのためです。

地上生活ではそれが一番肝要であり、意義ある人生を送るための、最高の叡智なのです。

やっかいなことに、人間は、地上にいる間はそのことを悟ってくれません。
そう言い聞かされて、内心ではそうに違いないと思いつつも、それが現実の生活に生かされていません。


みなさんの一人一人が発電所であると思ってください。

他人にかける迷惑、善意の行為、死後の後悔のタネとなる行い。
どれもこれも自分自身から出ています。
そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に自分が置かれる環境をこしらえつつあるのです。
寸分の誤差もありません。

高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪思念に流されたか、肉体的欲望に負けたか。
そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。

地上時代のあなたは、肉体と精神と霊(自我)の、3つの要素から成ります。
死はそのうちの肉体を滅ぼしますから、霊界では精神と霊だけ になります。

ですから、地上時代から、精神を主体にした生活を心がけておくこと が大切なわけです。

むろん、常に選択の自由は残されていますから、「やりたいことを好き放題やって、悟りは死後に清算するよ」 とおっしゃるのなら、それはそれで結構です。
今まで通りの生活をお続けになるがよろしい。

しかし、いったんこちらへ来たら、もうそれ以上は待ってくれません。
このブルーアイランドで、きれいに清算しなくてはなりません。


神は地球を、人間が楽しめる魅力ある環境にしてくださいました。
がそれは、人間をわざと悪の道に誘っておいて、後で懲らしめようという魂胆から ではありません。
いかなる人間でも等しく満喫できるように、豊富な美と、それを味わう機能を与えてくださっています。

精神が肉体をコントロールしている限りは、美は美であり続けます。
肉体の欲望が先行し、精神が堕落し始めると、やっかいなことが待ち受けるようになります。
苦しみと後悔が、山積みにされて待っております。

精神の働きはこちらに来ても同じです。
同じ原理に従って働きます。
思考力は肉体のあるなしには関係ありません。

ですから、そのうち地上に残した愛する人たちとの精神的なつながりを持ち、そして大きく影響を及ぼすようになるには、さして難しいことではありません。
もっとも、地上の当人は、そうとは気づかないことが多いのですが。

この事実のもつ意味を、良くお考えいただきたい。

他界した家族や知人、友人があなたのもとを訪れることがあるということ、思念こそ実質的な影響を持っているということ、霊との関係はもとより、同じ地上の人間との関係でも、それをうまく結びつけるのもぶち壊してしまうのも、呼び寄せるのも、あるいは追い払ってしまうのも、この思念の力であるということです。

霊界と地上の、2つの世界を結ぶのは 思念 です。
が、それには規律と鍛錬が必要です。

頭にひらめいたものがすべて霊界から届けられたと思ってはいけませんが、同時に、スポーツマンが身体を鍛えるように精神を鍛えれば、いざと言う時には、霊界からも地上界からも、大いなる叡智と援助を祈り求め、そして受けることができるのです。


~転載はここまで~