スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

幽霊の正体は?



少し前に、日本画家の松井冬子さんが、「幽霊画に描かれている幽霊は、人の苦しみや哀しみを表現している」と語ってらした。

子どもの頃、墨絵で書かれた幽霊画を観たことがある。
あまりの恐ろしさにショックで震えた。
そして、「実在の幽霊はみなあんな姿や形相をし、おどろおどろしいものだ。 もしも見てしまったら、とんでもない恐怖を味わうことになる」と思い込んでいた。
そうして幽霊が怖くてしょうがなくなった。

そんなある日、確か5、6歳の頃だったと思う。
夜中に目が覚めて、布団から起き上がり、ぼんやりと部屋の隅を眺めてた。
すると、数メートル先に突然、煙のような動く物体が現れた。

それは猫の霊だった。

腰を下ろして、私の方を見ていた。
輪郭はぼんやりしていたけど、細身な体で、長いしっぽがゆらゆらと動いていたのでそれで猫だとわかった。
しばらくすると霊の猫は、ぴょんぴょんと部屋の中を走りまわって、ぱっと消えてしまった。
別の夜は、かもいを伝って、ネズミの霊が神棚の中へと走り去るのも見た。


あの頃はなぜか決まって夜中に目が覚めて、霊たちが動いているのを何度か見ていた。
でも不思議と、怖さはまったく感じなかった。
むしろ人懐っこくて愛嬌があって、かわいらしくも感じてた(動物好きだったせいもあるかも)。


これが私の人生初の心霊体験だった。
けれど大人になってからも時々、「水蒸気や煙のような姿をした人たち」を目撃してる(でもこの時は怖かった 笑)。

ただ、日本画の幽霊画の怖さや様子とは、実際はかなり異なっている。
本物の方が、もっと生身というか、いろんな意味でどこにでもいる人っぽい。
ただ、見えかただけは、しいていうと3D映画の登場人物たちのようで、透明感がある。
なので幽霊画に描かれたあの恐ろしい形相の幽霊は、イメージで作り上げられた産物でしかない、絶対にああいう見え方をする幽霊はいない。
よほどの邪霊(地縛霊。ある人に憑依して暴れその場にいたみんなが恐怖でパニックを起こしたという、それまでで一番怖かった、タイプの霊)でも、あそこまで見た目が怖くない。
そういえば!!
戦死した兵士や、合戦で腕を切り取られた侍の霊も見たけど、鬼とかエイリアンぽくって血みどろな人は誰もいなかった!


あ、またしても前置きの説明が長いこと。
とにもかくにも、そんな経験からも、松井さんの言葉はすごく腑に落ちた私。

幽霊画とかホラー映画に出てくる、恐怖を誘うキャラクターはどれも現実離れをしていて、今生きている人間たち、しかも誰もが心の中に秘めている、妄想の産物でしかないと思う。
人間なら誰もが経験する憎しみや悲しみ、恨みつらみ、そうしたネガティブな感情や考えを、絵で表現しようとすると、あぁなるんじゃないかな(そもそもは暑気払いとか魔除けにされてたようだけど)。

幽霊よりもよほど怖いのは、むしろ、現世に生きる、生身の人間の方と、事あるごとにあちこちで言ってる。
なぜなら、妄想とはいえ、あれほどの恐怖をかきたてるものを作り上げてしまうのだから。
あのようになろうと思えば、しようと思えば、自分もそうなるということになる。


さて、実はここからが本題で結論。
恨みも憎しみも苦しみ、実はどれも哀しみから生まれる。

  寂しいし悲しいし辛くて辛くてしょうない。
  どうして私がこんなひどい目に合わなくちゃいけないんだ?
  何をしたっていうの?

そして怒りが生まれ、でもその怒りはそもそも理不尽な理由で生まれている(自分で怒りの感情をもつ事を選択している)と潜在意識はわかっているので、やり場のない怒りや苦しみになる。
八つ当たりで人にぶつけても、ぶつけた瞬間はすかっとするけど、その後で大きなトラブルになって自分を窮地に追い込んでしまったり、罪悪感や後悔が上乗せされてもっと苦痛になることもわかっている。
だから、しないでがまんしようとする。


そんな心の中で起きている苦痛や葛藤が、幽霊画の幽霊になって描かれた気が私はする。
だから、幽霊画の幽霊は、苦痛や悲しみにもだえ苦しんでいる、哀れでかわいそうな存在。

そして誰もが、ああいう世にも恐ろしい形相の幽霊を、心の中に住まわせている、と私は思ってる。
でも、それは悩んで苦しんでいる時だけ現れる、のかもしれないけれど。

だから、見た目だけで、嫌ったり怖がったり、無視したら、なんだか幽霊がかわいそう。
というか、他の、普通の霊さんたちもかわいそう。
実際には守りたい、助けてあげたいって、周りをウロウロしてたりするので。



最後に、昨日プロフェッショナルの流儀を観ていて、ある男性の様子に心が痛んだ。
「今は誰もが、いったん転げ落ちるとどこまでも落ちていってしまう大変な時代」と出演者の勝部さんがおっしゃってたけど、それは私も本当にそう思う。
そしてその男性も、平穏だった日々が、40代で脳梗塞を発症したことをきっかけに、健康も仕事も収入も失い、独り暮らしで誰も頼れず、あっという間に底の方まで転落してしまってた。
左腕にマヒが残り、しかも一人暮らし。
絶望と悲観に、打ちひしがれてしまったようだ。

それでも勝間さんたちがサポートし、ようやく明るさが戻ってくる。
引きこもりからそこまで、一年以上が経過してる。
けれど、いざ自立や社会復帰に向けて、職業訓練を始めたとたん、壁にぶち当たり、またお酒におぼれるようになってしまった。
裸足のまま、どこか切ったのか血を地面のあちこちに着けながら、朦朧として、わけのわからないことを口走って、ウロウロしていた。

たぶん、あの男性と同じような境遇にいらっしゃるかたは、決して少なくないと思う。
数年前の私自身も、彼のような状況に近いところまで追い込まれた。
今はそうじゃないだけで、人間の本質や暮らしぶりなんて、しょせん紙一枚の差ほどしかないと思ってる。
あと、見た目で判断しない、人も人生も変わるものだという捉え方も心がけている。
今がどん底にいるだけで、数年後、立派に立ち直っている可能性があるからだ。

とにかく彼らは人に迷惑をかけたり傷つけようとしないだけで(犯罪を犯さないだけで)、心の中ではあの幽霊が、理不尽な苦痛に満ちた自分の人生に対して狂ったように怒りをぶつけ、泣き叫んでいるんじゃないかと思う。
誰にもいわないだけで。

自分でも懸命に立ち直ろうとしてがんばっている。
必死になって、自分で自分を支えている。
自暴自棄になって、メチャクチャなことをして、憂さを晴らそうとすることもできる。
でもそれをしたら、身の破滅だ。
だからじっと、嵐が過ぎるのを耐えしのび、待っている。

私のように、心を読む仕事をしている人間はなおさら、そのことを常に頭に置いて、お話を伺わなくてはならないと思う。



どんなにタフで立派な人の心の中にも、苦痛と悲哀に満ちた、恐ろしい幽霊がいる。
けど、その幽霊と向かい合って分かり合えると、幽霊は天使に変わる。
つまりそれは、自分で自分を救うのと一緒なんだよね。

松井さんのワークショップは私的にはとても興味深いものだったし、おかげで幽霊画の幽霊が怖くなくなっちゃった。
磨けば光る、原石の見た目が、美しくはないだけ。

諦めさえしなければ、また、人生の陽は昇る時は必ずやってくるものだ。

なんて、わかったふりして語ってみた。