読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

スウェデンボルグが語る霊界の様子とは。

■ 霊界の様子について ■ エマニュエル・スウェーデンボルグ


スウェデンボルグが書き残した霊界の様子について、ご紹介してみたいと思います。

エマニュエル・スウェデンボルグについて(ウィキペディア)

【今回参考にさせていただきました】
スウェーデンボルグの霊界日記―死後の世界の詳細報告書


たとえ軽口やジョークであっても隣人を(他の人を)傷つけることは許されない。
ふざけた口論や意地の悪い嫌味や皮肉を込めた口調、都会にありがちの有害なしゃべり方などはどれも悪魔に食われてしまえ!(と非難している)


実際の中身がよくわかっていない何かの名称や呼称を習慣的に使っていると、人はそのことについてよくわかったような気になってしまうものである。
その場合は、「それは何だ?」「どうしてそうなんだ?」と疑問に思うことだ。
それによって未知な知識へと歩み寄ることができる。


人間は霊魂によって形作られ、愛、知恵、真実、禅を基礎としている。
私たちが理解すべき唯一の目的は、真理である。
とはいえそれは、真実を知る事が目的ではなく、真実の側に立てば善の何たるかが理解できるからである。


天国(霊界)は、数え切れないほどの「無私」で出来ている。
一方で、地獄はというと、数え切れないほどの反対のもので出来ている。


******

『天国(霊界)に行くにせよ、地獄に行くにせよ、その前に通過すべき3つの段階がある。

第一段階。
死んだ直後の姿かたちは、地上で生きていた頃とそっくりである。
顔つきや話し方、性格、道徳観念、常識は生前など、変わらない。
そのため、よほど子細に注意を払わなければ、自分はすでに死んでいるとは自覚できない。

その後、明るく輝く光と共に、善霊たち(守護霊や指導霊)がやってくる。
そして霊界へと導こうとするが、"死者"は怯えて逃げ出し、しかもそのまま彼らのことを忘れさえしてしまう。

次に、地上時代の友人や知り合いだった霊たちがやってきて話しかける。
入れ代わり立ち代わりやってきては、久しぶりの再会を互いに喜びあう。
こうした「再会」のドラマはしばらく続く。
短ければ数日、長くて一年、とか。
その長さは、本音と建て前のような、本人の言動(表)と本音(裏)がぴったりと一致するようになるまで続く。

どれほど善良に取り繕っていても、この段階になるとメッキが完全に剥がされてしまう。
すると、それまで潜んでいた邪心が露わになる。
そして顔つきや性格が、その邪心にふさわしいものへと変わってゆく。
その結果、誰の目から見ても、その霊の霊格レベルがわかるようになる。

と、そうして本来の霊格が露わになって真の姿に変わるのが第二段階。
この段階では、"穢れた心で汚いことをするかどうかを試される"。
もしもそのようなら、それまで(邪霊から)守ってくれていた上級霊たちが立ち去ってしまう。
そして入れ違いに邪霊たちが新参者を取り囲み、ウソをついたり誘惑をして惑わせる。
また時には襲い掛かって身体を引き裂いたりなど、恐ろしい行為がなされることもある。

そこでこの段階で自分の心の汚れを素直に認めて反省するか、それとも邪霊化して "地獄" へ行くか(※地獄とは邪悪だったり凶悪な霊だけが住んでいる霊界のこと。 ところで、進○の○○というマンガ?がブームのようで私も映画の予告を観てみました。 ですがまるで地獄界を描いてるようで、こうした暴力的で残虐なシーンや行為を、何とも思わなくなるほど感化されてしまうのが恐ろしくてとても最後まで観れませんでした)

いずれにしても、そうしたお試しで露わにされた、地上時代に身に着いた「魂の汚れ」はここで徹底的にそぎ落とされることになる。
もしも真摯に反省できたら、再び上級霊たちが戻ってきて、天国(霊界)で暮らしていくためのさまざまな教育を施される(第三段階)。
その後準備が出来たら霊格に合った霊界の場所へと連れていかれ、そこで新しい生活が始まる。

一方、第二段階で邪心を捨てられなかった霊は、自ら引き寄せられるようにして地獄へと堕ちていく(類友の法則)』
(※ このプロセスは、チベット死者の書に記されている"成仏"のプロセスとよく似ています)

******


霊界に上がり、自分の霊格にあったコミュニティ(町や村)に移動すると、そこで新たな友人や家族を持つ事になる。
そうした仲間たちとは地上時代での面識がなく、見知らぬ者たちばかりなのだが、なぜか幼なじみのような親しみや情を感じる。
(※それは、誰もが睡眠中に霊界に行くのですが、その際に彼らと出会って(正確には守護霊やガイド霊に引き合わされる)、交流していたからです)
また、地上時代に敬虔な生き方をしながら独身を貫き、さらに霊的な結婚を望む霊は、霊界で結婚ができる。
霊界での結婚は、魂レベルでの結びつきになるので、その喜びたるや無上のものになる。
いずれにしても、こうした霊的コミュニティは、全員があまりにも一つにまとまっているため、"全体が一人の人間を構成しているかのよう" である。


スウェデンボルグは、極度の不安や心配症のような、強迫神経症的になることを警告している。
「何かが、ある決まったしかたで起こるなどと心で決めてしまうのは、例え小さなことであっても要注意である。
なぜなら、邪霊はその考えをキャッチして支配するためのとっかかりにし、不安や心配を増加させ、絶対にそうなると信じ込ませ、バカらしいほど誇張させた結果、その人から思考の自由を奪ってしまうからだ」


地獄を支配しているのも愛である。
がしかしその愛は、自己を愛する、利己愛だ。
天国(霊界)では全員が他人に奉仕したがるのに対して、地獄では、他人を支配したがる。
地獄には、良心の呵責を感じる霊はいない。


行動の動機が、行動を判断する際の本当の基準になる。
(※同じことを、シルバーバーチも言っています)


スウェデンボルグは、自己愛(利己愛)である地獄の霊たちが怪物のような姿になっていることを不思議がった。
なぜなら、地上生活(物質界)では、傲慢ともいえるほどの自己愛も、行動に駆り立てるための高尚かつ必須な拍車であり生命そのものの火であり、名誉や栄光へと駆り立ててくれる原動力だと考えていたからだった。
そこで彼は、自己愛とは、自分自身や自分の子、孫などのためだけに良いことをしようとする愛のことだと考えた。 子や孫はその人の一部、あるいはその人自身だからだ。
けれども、自分たち自身および自分たちの一部だとみえる者だけを愛するような集団や社会を想像してみると、そうした愛は、盗賊集団の愛でしかない。
メンバー同士が同調しあっている間はお互いを友と呼び、手を取りあっている。
がしかし、もしも自分に逆らうようにでもなれば、その相手を殺したいとさえ考えかねない。
それが地獄の利己愛者たちなのだ。
そして彼らは、すべての聖なるものを嘲笑する。


中でも最悪なのが、自己欺瞞的な利己主義だ。
自分の霊魂の中に悪をもつ人間たちは、表向きは正直さや上品さで包んでいるので、彼ら自身も自分の悪さにはほとんど気づけないでいる。
そんな彼らが自らの真の姿に直面するのは、死んでからなのである。