読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

"スピリチュアル"と霊能力(その2)


昨日の記事 の続きです。

彼女と初めて会った時(これも友達の紹介でした)、成り行きからハンドヒーリングをしてもらえることになりました。
そこで肩こりのヒーリングをお願いしました(これが人生初のヒーリング体験でした)。
すると彼女は椅子に座った私の後ろに立って、こう言いました。

「これから肩に金の鍼を刺します」

ヒーリングをしているとは聞いていましたが、鍼灸師とは聞いていません(笑)
なので「え、まさかほんとに鍼を刺すの? 大丈夫なの?」って慌てた瞬間、長さ5センチほどの固い金属の鍼のようなものが、皮膚を貫いて、身体の中へとずぶずぶっと入ってゆきました。
(もちろん"刺された"痛みは全くありません。ただ、感触ははっきりとありました)

よもやの信じられない体験に興奮気味の私は、その様子をあっけにとられた顔で見ていた他の友だち二人に、「やだ! 何か入っていってるよ! ほんとに針が刺さってる!」って大騒ぎ。
けれどヒーラーの彼女は、両手を私の肩に置き、静かに黙々とヒーリングを続けていました。

数分後、鍼がある程度奥まで入った後、「これからこの鍼を溶かします」と告げられました。
するとさっきの鍼が急に熱くなり始め、"溶けて"液体のようになり、周辺の組織へとじわ~っと広がって浸透していくのを感じました(くれぐれも、本物の鍼じゃないですよ。 気を物質化して出来た鍼です)

あまりのリアルな体感にさすがに本気で怖くなりつつも、けれど害があるとも思えず、なので途中からは無言になり、かたずを飲んでその成り行きを見守っていました (ちなみに今振り返ると、彼女のやり方は、白隠禅師がされていた『軟酥(なんそ)の法』と似ている気がします)

時間にして15分程度だったと思います。
ヒーリングが終わり、すると彼女はにっこりと笑って、「はい、おしまい!」って軽く両肩を叩いてそう言いました。
そして肩はというと、驚くほど軽くなっていたんですね。

そんな様子を見ていた友人も、続けてヒーリングをしてもらうことになり、そして彼もまた「なんだこれ? すごい!」って騒いでいました(笑)。

ということで、これが彼女との出会い。

他にも彼女にまつわる "不可思議な" エピソードがいくつもあります。
そしてその後彼女から当時日本ではまだ誰も知らなかった特殊なレイキを教えてもらいました。
3年かけてじっくり経験を積んだある日、お客さまから「レイキの伝授をしてほしい」というリクエストをいただいたのをきっかけに、私もレイキティーチャーとなりました。
※現在はヒーリングのセッションも伝授も行っていません

(イギリスでは保険も使えるヒーリングですが、そうしたプロのヒーラーになるには、最低でも1年はかかるもの。 チャネラーつまり霊媒師となるとさらに厳しく、トレーニング期間は3年、5年とかかるそうです。 なぜなら、どういう風に行うか、そうしたモラルや道徳観念、心の持ちようが、技術や能力の向上よりも重要であり、それらをしっかりと身に着けるのにはそれなりの時間がかかるからです)

*****

さて、そうしたヒーラーの友だちと、前回のサイキックの友だち。

この二人に共通する、雰囲気や行動パターンがいくつかあります。

まず、どちらも口数が少なく、地味で(清潔感はあったけど、流行のファッションとは無縁でした)、控えめでおとなしい、ニコニコはしていたものの喜怒哀楽の感情をほとんど露わにしない人たちだった、ということです。
生活も質素でした。
二人とも素晴らしいサイキックや霊能者で、人から好かれやすい(人が寄ってきやすい)人たちだったのに、本人たちはなるべく人を避け一人でいることを好みました。

また自分の能力のことやプライベートについてめったに語ることがなく、どこか、仙人のように(笑)謎めいてました。
あれほどの能力があるのに、自分からは決して自慢したりひけらかさなかったし、それを売りにしてお金をたくさん稼ごうという発想もなさそうでした。
むしろ、自分たちの能力の評判が立って、騒がれて、人が押し寄せて来ることを嫌がっていたように感じました。

そして、実際にはあちこちでボランティアをしてたり、誰が聞いても驚くほどの結果を出していたようなのですが、そうした話も自分たちからは一切しないで、後になって、人づてに伝わってきた、ということも幾度かあって、ひたすら感心&尊敬するばかりでした。


*****

あれから20年近くになりますが、その後私もスピリチュアリズムをかじりながら、彼女たちのことを時々思い出します。

そして思うんです。
スピリチュアルであること(哲学的、精神的に生きること)と、サイキックや霊能力などの能力のあるなしとか開発、というのは全く別物なんですよね。

サイキックで霊能力があるからといって、必ずしも心がきれいで立派な(霊格が高い)人とはいえない。
それは、車の運転技術と同じようなもので、「能力」の一つだから。
多かれ少なかれ誰でももっている、人間の本能的な力なので、特別視するのも違います。


私の場合、幸運にも、なぜかサイキックやヒーラー、霊能関係の方たちと、しかもひょんなことから知り合うことが少なくありませんでした。
その中で、「ステキだな、この人は何か違う。一流だな」感じた人たちほど、共通する雰囲気や印象があるんですね。
「おだやか」「やわらかい」「口数が少ない」「小声で丸みのある柔らかいトーンでふんわりと話す」「地味・質素」「自然な美しさや質の良さにはこだわる」「世俗的なことに関心や興味がない」「聡明である」「おとなしい(行動や動きは活発ですが)」「シャイで控えめ」「世間から注目されたり目立つのを嫌がる」「群れたがらない、単独行動をする」「友だちづきあいする人を選ぶ」「親切で面倒見がよい」
そんな感じです。

ネットも含め、日本のメディアの表舞台に立っているヒーラーやサイキックのかたたちみたいに、宇宙の話だとか、美しく幻想的なポエムのようにロマンティックな語りをするとか、儀式的なことにこだわるとか。
また、大勢の人の前でスピーチするような商業的な活動も、彼らはほとんどしません。
H・エドワーズのように、ヒーリングによる治療だけではなく、スピリチュアリズムの啓蒙もかねて、公開デモンストレーションをするケースを除いて。


日本の「スピリチュアル」ってどうも、開運だとか、霊能開発とか、そうした特殊能力のあるなしの方が注目されやすいように感じます。
けれど私は、そういう視点や発想は、邪道というかサイキックというか、(オ)カルト(主義)寄りだとみなしています。
強く嫌悪するのは、もしもそうした欲求や行為が行き過ぎると、その先に、うぬぼれ、優越感、競争心、なので差別意識が生まれ、するとその結果、対立や分離が起きてしまうからです。
けれども、私たちが目指すべきところは、平和と融和。
そもそもそうした社会平和の実現を助ける手段がサイキックや霊能力なはずと私は思ってます。
スターになってちやほやされるためではなく。

本来の Spiritual という言葉の意味は、そうしたことを意味しているのではないはず。
切磋琢磨して自分の心(精神、魂)を高めようと生きていくことが、本当の意味でのスピリチュアル(な人)ではと私は思います。

ちなみに、何度もしつこいようですが、スピリチュアリズムというのは、心霊学や霊実在主義思想であって、オーラ視とかリーディングですとか、霊能力・特殊能力の行為や開発にこだわるものじゃないです。
なので、私は普段、スピリチュアル という表現はめったに使いませんし、そういう言い方もしないようにしています。
それは、私は「(日本的な)スピリチュアル(な人)」ではないので。

そういわれるのは、むしろ、困ります。