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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

マイヤースの類魂説(4)ー 地上への再生



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※下の本からお借りしました


続きです。

第一回目   第二回目   第三回目

F・マイヤースとは?(Wikipedia)

こちらの本からお借りしました。
人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅
(とてもおススメの本なのですが、どうやら絶版になってしまったようです 悲)


【魂の旅路】 個人的存在の彼方より

地上で動物的本能のおもむくままに生きた人間が、こんどは知的ないし情緒的生活を体験するために再び地上に戻ってくることは、まぎれもない事実である。
言い換えれば、私の言う「肉の人」はまず間違いなく再生する。

私のいう「魂の人」の中にも再生という手段を選ぶ者がいないわけではない。
が、いわゆる輪廻転生というのは、機械的な繰り返しではない。
100回も200回も地上に戻ってくるなどということは、まず考えられないことである。
その説は明らかに誤りである。

もちろん原始的人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出そうとする欲求がなかなか芽生えない者がいるであろうし、そういう人間は例外的に何度も何度も再生を繰り返すかもしれない。
が、大部分の人間は、二回から三回、せいぜい四回くらいなものである。

もっとも、中には特殊な使命または因縁があって、8回も9回も地上へ戻ってくる場合もないわけではない。
従って、いい加減な数字を言うわけにはいかないが、断言できることは、人間という形態で50回も60回も、あるいはそれ以上も、地上をうろつくようなことは決してない。


こういうと、たった二回や三回の地上生活では十分な経験が得られないのではないか、とおっしゃるかたがいるかもしれない。
が、その不足を補うための配慮がちゃんと用意されているのである。

乞食、道化師、王様、詩人、母親、軍人。
以上は無数に存在する生活形態の中から、種類と性質の全く異なるものを無造作に拾い上げてみたのではあるが、注目すべきことは、この6人とも、五感を使っているという点においては同じであることと、いいかえれば人間生活の基本である喜怒哀楽の体験においては、まったく同じ条件下にあり、ただ肉体器官の特徴とリズムが、その表現を変えているに過ぎないということである。

(省略)

それなのに私はあえて、地上生活の体験を十分に身に着けるまでは(特殊な例外を除いては)、死後において、高い界層に住むことは望めない、というのである。

その矛盾を説くのが類魂の原理である。

そうした無数の地上的体験と知識とを身に着けるために、わざわざ地上に戻ってくる必要はない。
他の類魂が集積した体験と知識とを、我がものとすることができるのである。


(省略)

不幸にして不具な肉体をもって生まれたとすれば、それは前世において何らかの重大な過ちを犯し、それを償うにはそうした身体に宿るのがいちばん効果的であるとの判断があったと解釈すべきである。

(省略)

地上で暴君や(※宗教の)異端審問官だった者は、白痴や精神薄弱児として再生することがよくある。
他界後、彼らは自分の犠牲者たちの苦しみを見せられて、深く反省し、良心の呵責を感じるようになる。
時にはその呵責があまりに大きくて、精神的中枢が分裂し、その状態のまま地上に生まれてくる。
地上時代の罪悪の記憶に追い回され、悪夢にうなされ、さらには犠牲者たちが自分に復讐しようとしているという妄想によって、それが一段と強烈になってゆき、ついに精神分裂病になったまま再生するのである。

(省略)

初めて地上に生まれてくる霊の場合は特別の保護が必要なので、類魂との霊的関係がとくに密接となり、その結果、直接の管理に当たる霊(守護霊)のカルマが強く作用することになる。

その霊はたぶん三回ないし四回の地上生活を体験していることであろう。
が、まだ完全に浄化しきってはいない。
言い換えれば、霊的進化にとって必要な物質的体験のすべてを吸収しきってはいない。
そこでその不足を補うために、二つの方法が考えられる。

一つは類魂の記憶の中に入っていく方法、もう一つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂と共に地上生活を送る方法である。

後者の場合、地上の類魂はいわば自分の前世の生き証人であり、これによって霊的に一段と成長する。

次回に続きます。