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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

故人の霊との接しかた(スピリチュアリズム的なご供養)

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今日は、亡くなった方々(霊)との、スピリチュアリズム的な接しかたについて、書いてみたいと思います。

参考文献や出典先は  こちら
中でもスピリチュアルな生き方原典が、初めてのかたには一番読みやすく分かりやすいかと思います。

****

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最初に、死んだ直後(霊体が肉体から完全に離れた直後)から、どんなことが起きるのか、簡単に説明させていただきます。
但しこれは、事故や自殺以外の、自然死の場合です。

死の間際になりますと、もはや霊体は肉体から抜け出ていて、空中に浮かんでいます。
その際、霊体と肉体とはシルバーコード(命綱、魂の緒)と呼ばれるものとまだつながっています。
実物の写真です ⇒
(こちらの 人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 からお借りしました。

そしてシルバーコードが切れると、肉体の死を迎え、残された肉体は朽ち果ててゆきます。

さて、シルバーコードが切れる時、次のような現象が起きるようです。
私が知っているのは2つのパターンです。

(1)"天使(的な存在。高級霊)"と守護霊や指導霊などの背後霊さんたちが、その人間の周囲に集まる。
そして、あたかも出産直後の赤ちゃんのへその緒を切り離すかのように、彼らのうちの一人が、コードを切断をする。

(2)霊体が空中に浮遊してゆらゆらしているうちに、シルバーコードが固くなり、自然に折れて切断する。

その後、死んだばかりの霊たちは、眠りにつきます。
そして目が覚めると、「まだ生きている」ことに気がつきます。
亡くなった直後は幽体姿になるのですが、その外見上の見た目は、地上のものとそっくりです。
けれど、何かが、おかしい。
自分が若返っていたり、生前失っていた手足があったり。
近くにいる"生きた人間"に声をかけても無視される。
その人をぶっても、大声を出しても、気づかれない。
もしくは壁を通り抜けられたり、地上の物質に触れることができない、ですとか。
喜怒哀楽もそのままですし、地上の名残りで、喉が渇いたりお腹も空いたりするそうです。
(ただその場合、肉体がないので、どれほど飲んだり食べたりしても、満たされません。 そこでおかしいな?死んだのかな?と気づくようです)

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ということで、ここが最初の重要な段階になります。

自分が死んだ現実を素直・あるいは"前向きに"受け止められた霊は(実はある理由から、パニックを起こす霊がとても多いのです。特に突然の事故や自殺の場合)、強く光輝く存在か、あるいは妙に親しみやすさを覚える人(霊)が、自分の近くにいるのに気がつきます。
(彼らは、次の世界に送り届けるための導き手です。ですが、必ずしも、地上時代から面識があった人たちではないようです)
そして、"楽園・極楽・天国"と呼ばれる、幽界の最上級界へと連れていってもらえます。
(ただし、地上時代から霊的に発達していた霊(霊格が高い霊)は、一気に幽界を抜けて霊界へ向かいます。それは幽界で生活して学ぶことがない、つまり必要がないからです イエスも直接霊界に行かれたそうです)
そしてそこで(しばらく)暮らし始めます。


一方で、
●宗教の教えや世間の誤った情報を信じて「死後の世界などない」と思い込んでいる人
●死後の世界はあるとわかっていても、自分が死んだ現実が受け入れられない人
●強い不安や恐れでパニックを起こしている人
●事件・事故で突然亡くなり、パニックを起こしている人(病気による突然死は除く)
●地上に遺してきた人たちへの強い未練(情だけでなく、恨みや怒りも含めて)
●地上生活の習慣を捨てきれない(地上の生活習慣にこだわる。物欲、金銭欲、悪業)

といった霊たちは
①大変動揺し、パニックを起こし、楽園に行けない
②導き役たちに気づかないか無視し、楽園に行けず、そのまま地縛霊になる

(私事ですが、病で突然他界した私の父もそうだったと、霊媒のジェフリーヘイワードさんに教えていただきました。こちら にその時の模様を書いています)

……

では後者の方たちが楽園や霊界に移動する(成仏する)ためにはどうすれば良いかと申しますと、

①自分が死んでいること、なのでもう地上や地上生活には戻れないということを認める、未練
■■を断ち切って諦めること
②救いや助けを求めること
③(地縛霊になっていたら)反省して助けを求めること

になります(主に)。

……

さて、前置きの説明が長くなりましたが、ここからが、私たち人間が気を付けたいこと、になります。

大切な人を失った哀しみは、言葉には尽くせないものと思います。

「一人にしないで。 私はこれからどうすればいいの? お願いだから戻ってきてほしい」
「自分もいっそ死んでしまいたい」

そんな風に心の中でつぶやいたり叫んでいらっしゃるかたもいらっしゃると思います。
けれども、酷なようですがそれは、故人を想うなら、してはならないことです。
そうしたつぶやきや感情は、ありのまま、包み隠さず、故人に届いてしまっているのです。

(ちなみに人が亡くなったばかりの時、悪口を言ってはいけないというのもこれが理由です。 がっかりさせたり怒らせることになり、けれども故人は反論もできません。
そうして故人の霊は、悔しさや後悔から、いつまでも地上のこと気にかかり強い執着を持つ羽目になり、なので離れることができない、つまり成仏できなくなります。
そうして地縛霊になり、悪口を言った人、あるいは近くを通りかかった見知らぬ人にまで憑りついたりして、鬱憤を晴らそうとするのです。
昔の人は現代人より何倍も霊感が発達していたので、こうした事実も感覚的にわかっていたからこそ、「死んだ人の悪口を言うな」という教えが生まれたのだろうと思います)

しかも、幽体姿になりますと、感覚が、人間の時と比較して何倍も敏感になります。
例えば人間が10の中の5の強さで、故人に対して、哀しみ、未練、後悔、怒りの感情をもったとします(霊の世界からは、「念」と呼ばれる、人や物事を動かせるほどの強いエネルギー)。
すると霊になった故人は、その30や50レベルの強さで、それらをキャッチすることになります(感情や感覚の強さは、人間の数倍から10倍差だと言われています)

そしてそれがさらに、故人を興奮させ、(楽園や霊界に上がるために欠かせない)眠りを妨げてしまうことになります。
眠りは、霊の興奮を鎮めて落ち着かせるだけでなく、新しい生活環境に"身体や自分の心"が馴染ませる効果もあります。
ですから、質の良い眠りを十分に取らせてあげることも、少しでも早く、そしてより高いレベルの「天国」に行かせてあげるのにはとても大切なことなのです。

つまり、こちらでは別れを惜しんでいるつもりが、故人の地上への未練や執着を一層強めてしまい、結果的には悩ませたり辛い思いをさせてしまうことになる、のですね。

ちなみに、死者との交信(チャネリング)は、通常、死後、半年ほど置いてからが良いとも言われています。
それは霊の世界で、そのような事情があったから、です。
せっかく眠っているのに、地上から "大声で呼ばれたら" 、死者は目が覚めてしまいます。
この段階では、しっかりと熟睡させてあげた方が良いのです。

「死後の49日」の考えも、的を得ているように思います。

…‥

しかし(成仏できた)霊たちはむしろ、地上で生きるよりはよほど幸せな生活を送れるのに(自殺はそうではありません)、遺された人は誰のために、泣いたり、悲しんだりするのでしょう?
その心の奥に何があるのかを、見つめてご覧になるとよろしいかと思います。

ちなみに、十分に眠れ、幽界(の楽園)や霊界(の低級層)に移動できれば、そして霊たちが望めば、自分の意志でいつでも地上に降りてくることができます。
人間の目に見えなくても、すぐそばにいて、見守ってくれているのです。
(そうした霊も含め善霊たちが側にいると、急に足元が涼しく感じ、ゾクゾクしますよ)

それから、生前のご家族や知り合いたちによる出迎えや再会は、亡くなった直後に休眠して目覚めた後で、楽園や霊界に上がる準備が整ってからのようです(臨死体験中のケースを除いて)。
つまり、もしも地上に近い所で彷徨う地縛霊になってしまうと会えない、ということです。

と言ったことから、亡くなられた直後は、できるだけ早く新しい世界や環境に落ち着かせてあげることを優先させた方が、よほど故人のためになる(ご供養になる)と言えます。

*****

そこでスピリチュアリズムに則ったご供養の仕方というのは、世間で行われているものとは大きく異なってきます。
大まかにですが、その方法を書いてみます。

●死は哀しんだり、忌み嫌うものではない。
この世の死(肉体の死)は、次の世界(でもこちらが実体の世界)への移行にすぎない。

●お葬式や法事などの供養は、浄化の観点からいえば、実は意味がない。
また、儀式的な機会にこだわらず、時々は故人を思い出し、霊の世界での幸せを祈ってあげたり、世間話をするように近況報告をして話しかけてあげた方が、よほど嬉しがってくれる。
また、そうした心がけが、故人の霊の進化成長を促すことにも役立つ。

●お墓参りに行っても、故人は墓場にはいない。

●霊に、自分の暮らしに関する頼み事やお願いごとはいっさいしない。
こうした行為が邪霊や低級霊に知られ、つきまとわれたり、もてあそばれる可能性が大です。 というのも、これは欲望から生まれた邪心・邪念だから、です。

●自分の心身の浄化や健康が、最高のご供養になる。
血族に限らず、霊的家族等、自分との大小ざまざまなご縁でつながる大勢の霊たちに、そうした心が移ることで、自分を中心として、みんなで霊的に成長してゆくことができるから です。
霊の世界は、上に行ければ行けるほど、素晴らしい環境になるのだそうです。

●あまり故人を頼ったり、しつこく呼び出さない。
それは、呼ばれれば、来ないわけにはいかないからです。
霊の世界から見ると、地上の環境は決して良いものではなく、なのでよほどのことが無い限り、進んで降りて行こうとはしないそうです。
例えば私たちも、悪臭がムンムンし、見た目もひどいゴミ捨て場へと、好き好んで行きたい人がいないように。。。

ですが、霊は利他愛の修業をしていますので、そのように強い感情の思念で引き寄せられたら、ほっておくわけにはゆきません。
その際、自分の仕事や修業を中断し、その人のために多大な犠牲を払い、逢いに来てくれます。

無視もできそうですが、自分のことを呼び続ける声が嫌でも耳に入ってくるので、拒めません。
応えることがその人の霊的成長の妨げになると思えば、かえって、自分が何もしてあげられない
ことを苦しんだり悲しんだりします。
つまり故人に迷惑をかけていることになり、そしてそれも呼び出した人間のカルマとなり、のちほどその清算(償い)をすることにもなります。
なぜなら霊界(宇宙の法則)は、因果応報が絶対のルールであって、自分で蒔いた種を刈り取る、自己責任の世界、だからです。

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お盆の時期、国内では多くの人が法事をされたり、お墓参りして、故人をしのびます。
私も以前は、お盆の時は、(エネルギーや波動が変わって)霊界の人たちが地上にやってきやすい時期、という風に思い込んでいました。

けれど実際はそうではなく、いつの間にか誰かが言い出して広まった習慣によって、人間の念に、祖先も含め霊たちが呼び出されているだけだ、迷信なのだと、わかりました。
またそれが果たして彼らのためになることかと申しますと、必ずしもそうでもないことも。

それがわかってから(気づいてから)、私はお墓参りを止めました。
自分の死後の、葬儀などの儀式や、お墓のあるなしには一切こだわっていません。
それよりも、時々故人や祖先のことを思い出しては、できるだけ純粋な気持ちで、みなさんの進化向上(幸せ)を心からお祈りをするようにしています。

霊の世界や住人には、国籍や文化、宗教(の違い)はありません。
弔い方も、それらへの考えかたも、国や地域ごとに異なっているのは地上世界だけです。
例えば、生まれ変わりについては最先端を行くチベットのある地域でも、遺体は決められた場所に放置し、野鳥のエサにして、お墓は作りません。

地上は、霊界を模倣して創られたといいます。
(他界後、できるだけ早くに霊界に馴染みやすいようにといった配慮と考えられます)
もしもその習慣や信仰が正確ならば、例えばお盆や法事の習慣が本当に意味があって正しいものであれば、世界中で同じことが行われているはずです。
そうでなければ、日本固有の風習なのであればそれは、霊(界)には通じない、つまり本当の意味での供養にはなっていない証拠といえます。

ちなみに、日本のお葬式や埋葬、供養の儀式がいつどんな風に始まったのか、時期やいきさつについて、ぜひ一度、しっかりとお調べになってみてください。
どれも純粋に霊を弔うため、というよりも、遺された人間の都合のために始まったことであるのがわかるはずです。

そもそも、霊界には人間界の金銭や物品、捧げものなど全く無用なものなのです。
彼らが遺して来た人たちに求めていることは、相手の幸せを望み自分のことのように喜べるような、純粋無垢の愛や思い、分別をもつこと(真理を得ること)、そういう人間になること、それだけではないかなと私は思います。

「暦通りに、時期が来たらお墓参りをして供養すればいい」と、そこに自分への愛がない、世間体や義務による、形だけの儀式が行われている様子を目の当たりにさせられている故人の気持ちは、はたしてどのようなものでしょうか。