スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

霊界から見た、「誰かを教え導くこと」の責任の重さ その1



カルデック、モーリス&カミンズ女史、シルバーバーチなど、高級霊からの通信をまとめた、「霊訓」類を読んでいますと、主に人生哲学のような事柄を教え導くことの難しさや責任の重さを痛感させられるような話が、あちこちで語られています。

それらを読むたび、スピリチュアリストとして、また数秘術師を養成したり、個人のアドバイスやコンサルテ―ションをさせていただく側の一人として、私自身、身につまされています。

ということで、今日の記事は特に、自分自身への戒めのつもりで、書いてゆきたいと思います。

参考文献のリストはこちら  ⇒ 

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モーゼスの霊訓より  P90

「われらは理性を信仰の上に置いている。
われらの説く福音は、(※熱心に信仰することよりも)善行を説く福音であり、(※教義や信仰に対して忠実になのではなく)善の実行者こそ佳(よ)しとする教えである。

そのような者たち(※無知と愚行によって真理から外れて創られた教義を鵜呑みにして、霊的真理を否定する宗教者たち)にとりては、こうした教えを説く霊はすべて、光の天使を装う大悪魔の手先であり、魂を破滅に陥れんとの企みに他ならないのである。

(省略)

盲信を、理性的信仰と同等にみなすことは出来ない。




霊の書より  P142

Q 霊性の発達の違いは上下関係をこしらえるのでしょうか。つまり霊界にも権威による主従関係というものがあるのでしょうか。

大いにあります。
霊格の差による上下関係は厳然としており、霊性の高い者が低い者に対して持つ優位性は絶対的な不可抗力と言えるほどです。



Q 地上時代の権力や地位は霊界でも通用しますか。

しません。
霊の世界では謙虚な者が高められ、尊大な者は卑められます。



Q 地上で偉大な人物とされていた者が霊界では低い界層にいた場合、その違いに屈辱感を覚えるでしょうか。

そういうケースが実に多いのです。
高慢で嫉妬心が強かった場合はなおさらです。



P269

考えてもご覧なさい。

超人的な苦行をするヨガの行者やイスラム教の托鉢僧、ヒンズー教の苦行者、さらにはどこかの宗教の狂信者たちは、それによって一体どれだけ霊性が向上したというのでしょう?

そんなことをしている暇があったら、なぜ、地上の貧しい同胞のために慈悲を施さないのでしょうか。

着るものにも事欠く人に衣類を与え、喪の悲しみの中にある人に慰めの言葉を与え、食べるものにも事欠く人のために自分のものを分けてあげ、そのために自分は断食もあえてする ― そういう生活こそ有意義であり、神の意志に適っております。

自分のためだけに修行をする者は一種の利己主義者です。
他人のために自分が苦しんでこそ慈悲の法則を実践したことになります。

それがイエスの教えです。



スウェデンボルグ 霊界からの手記(中巻 より)

※死後、地上での著名人、有名人に会ったという会話(通信)の記録はたくさんあります。
それらを読むにつけ、地上で成功した人が必ずしも霊格が高いわけではないということと、無知と怠惰によって誤った信念を自分に植えつけてしまうことのまずさがわかってくると思います。

<宗教界のリーダーたちは地獄(※)に落ちていた>
(※ 正確には、霊の世界には地獄などなく、低級霊たちがいる、地上に最も近い、幽界の低級層(凶霊や邪霊が多い層)を指しています)

スウェデンボルグは霊界で宗教界の有名人たちと出会った際の記録を、日記に残しています。

マホメッド
自分の所に押しかけていた霊たちに向かって「わしのところにくるな! キリストの所へ行け!」と怒ってどなりちらし、追い払おうとしていた。

【ダビデ】
彼は自分こそが天国の主となるべき者と考えていたことが、私にはわかった。
そして死後、彼は、霊界の上層部に行こうとするが、そのたびに強い力で押し戻されていた。

そこにダビデと共にいる、ある司教の霊も現れた。
この司教も、自分を神として他の霊たちに崇めさせたがっている人物だった。

そしてダビデは彼に、自分こそが神だと、権威を使ってねじ伏せるように従わせていた。
さらにダビデは、自分を神と崇めない霊たちを、高い所からほうり投げて落としていた。

ダビデも司教も自分を神として崇めさせたがっている点は同等だったが、ダビデの狂信のレベルの方が一層ひどかった。
彼は、神さえも彼に従うと錯覚していたのである。

ダビデは死後も、霊界で、熱狂的な激しさと巧みな話術や説教によって、他の霊たちをたぶらかしていた。
そうして上級界に進んでゆくのだが、遅かれ早かれ、上級界にいる霊たちにはその本質が見破られてしまう。

このように、ダビデは上級界に上がろうとするたびに、地獄へ突き落とされているのであった。

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ここからは 迷える霊との対話―スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年 よりお借りしました


P607

ある一つの信仰に固執して、他の信仰をすべて排斥する態度は、死後の向上の大きな障害になるという例です。


生前、クリスチャン・サイエンス(※)を信仰し、インテリだった霊の証言より。

※メアリ・ベーカー・エディというアメリカ人女性が創設した新興宗教。キリストへの信仰を基本として、"信仰一つで病気は治せる"、"信仰は肉体にまさる、物質は存在しないと思え" という教えを特徴とする

私は長い間病気で、そのままこちらに来たが、その病気の治しかたに間違いがあった。
クリスチャン・サイエンスが、物質はないと教えるものだから、それを信じたのがいけなかった。

しょせん人間は物質を意志によって無きものとすることはできない。
神は大自然を活用する能力を与えてくださっている。

それを正しく使えばよいのであって、クリスチャンサイエンスの信者がそれを拒否して信仰のみで生きようとすると、当然その不自然さが生み出す結果も、不自然なものとなる。
私がその犠牲者だ。
意念で病気を克服するのだと一生懸命頑張ったが、しょせんは無理な話だった。

それを知ったエディ女史は、今、大変苦しんでおられる。
考えてみれば、不自然な話だ。
衣服のほころびを、意志の力で直せと説いたようなものだ。

クリスチャンサイエンスの信者の多くが、身体のケアをおろそかにしすぎて、私のように早死にしている。
理性を使わず、気力ばかりを使って消耗している。
私も、いわば、催眠術にかかったような状態になって、物質界にいながら、物質的な生活をしていなかったのだ。


P616 ― クリスチャンサイエンスの創始者による懺悔

いまだに惨めな思いをさせられております。
疑わないでください。 本当なのです。 なぜ人は疑うのでしょう。

神よ、どうか救いたまえ!
私は今、ひどい目にあっております。

正直を申しますと、私は、死後の実相を知っておりました。
地上にいた頃から知っていたのです。

が、自分独自の宗教をもちたいという野心にそそのかされて、その真理へのトビラを閉じてしまったのです。

(略)

私は恩師のクィンビー博士の学説の、都合の良い所だけを取り入れました(※催眠やイメージ療法で治療する方法を打ち出した精神科医)。
物質の存在を否定したのです。

(略)

いまの私は、私の信者に真実を理解してもらいたい気持ちでいっぱいです。
できることなら、地上に戻って、真の神の摂理を説き直したいです。

本心を言えば、私はお金が欲しかったのです。
世界でもっとも豪華な教会を建造したいという野心がありました。
世界中に、自分の教会を建て、自分の教えを広めたいと考えていたのです。

(略)

いまでは平凡な、一介の人間にすぎません。
間違った人生を送った、罪深い人間です。
私こそ、救っていただかねばならない身の上なのです。

地上で私を信じていた人たちがやってきては、私に救いを求めます。
信者たちが、私にしがみついて、なんとかしてくれと、懇願してくるのです。

私が、彼らの幸せへの扉を閉ざしてしまったのです。

※その後、生前からクリスチャンサイエンスを盲信している霊が登場するが、とてもかたくなで、説得してもらちが明かなかったため、ウィックランド博士の守護霊団に預けて、交信を終了する。
すると、ふたたび教祖エディ女史が現れる。

こうした信者を見ると、私の心は痛みます。
私が真実を知っていながら、それに心を閉ざしたことに、すべての原因があるからです。

私は本当のことをちゃんと知っていたのです。
なのに、自分を偽ったのです。

地上時代の私は、信者に対して「精神のみが実在である」と説き、私の著書を読んで読んで読み返し、第二の本性としてしまいなさい、と言い続けました。
それを素直に信じて実行してきた信者が、毎日のように、霊界にやってきます。
そしてこちらでも、同じことをし続けています。

私が、『もうそんなことはしなくてもいい』 と言って、ごく当たり前の霊的事実を説いても、全く耳を傾けようとしません。
私の著書に書いてあることしか念頭にないのです。

その、狭くて間違った世界に、閉じこもったきりなのです。

(略)

リーダー(指導者)の立場に立つと、人はとかく、自分独自のドグマ(教義、教え)を主張したがります。
それを目玉にして信者を集め、それを自分の金づるとして確保する方策を考えます。
けれど、少しの間はそれで上手く行っても、そのうち必ず真実が頭をもたげ、広がるのです。

ドグマや新説で、飾り立ててはいけません。
私も恐れず真理を説いていれば、私の教会にとっても、よほど良かったはずなのです。

(※ その後、エディ霊は、霊界に行ってから、先に来ていた近しい故人の霊たちから、入れ代わり立ち代わり、目を覚ますように説得されたそうです。 そして最後にクィンビー博士が現れます)

「君は、私の説を我がものにして、私のことはその後いっさい口にしていないね?」

博士にそう言われ、私は自分がいかに利己的だったかを思い知らされました。
罪の意識を感じました。
博士に救っていただきながら、その恩を、忘れていたのです。
(※ 彼女の証言は、昨今の、ネット上の他人の著作物やアイディアの無断盗用問題 とも重なる気がいたします)

(略)

他人の教えにすがってはいけません。
自分で考え、自分で判断し、自分をコントロールできるようにならないといけません。
他人の役立つことをするのは、それから後のことなのです。



次回は、同じくウィックランド博士による交霊セッションに現れた、神智学のブラヴァツキー夫人の証言(懺悔)をご紹介したいと思います。