スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

死後に行われる、霊たちの悔い改めの様子



今日の記事は、アラン・カルデックの霊との対話 という本からお借りします(ブログ用に読みやすくするため、所々加筆修正を加えてあります)。

出版先が宗教団体であることには強い違和感を感じていますが、それとは別に、浅岡先生の訳も内容も素晴らしく、特にスピリチュアリズム初心者のみなさんには読みやすく、また良質な情報を提供してくれる一冊と思います。

P176


われわれがいままでに見てきたのは、次のようなケースである。

すなわち、黄金を目にしては歯ぎしりをする吝嗇家(りんしょくか ― ケチな人、物欲が強い人)。
彼にとっては、この黄金は悪夢と化している。

自分たちには与えられず、他の人びとに与えられる名誉に激しく嫉妬する傲慢な人間たち。

生前は王侯貴族として生き、自分たちの地位や権威をかさに着て偉ぶって命令を下していたのが、死後どうしても逆らえない見えない力に辱しめを受け、また他方でもはや自分の命令など全く聞き入れなくなってしまった家臣たちに、今度は侮辱される人。

「何もかもが信じられない」といった苦しみにさいなまれ、無限に広がる空間の中でたった一人の孤独に置かれ、それでも自分を救ってくれそうな人に会いたくても会えない、無神論者。


霊界ではあらゆる美徳に対して喜びが与えられる。
けれども、あらゆる悪徳に対しては、苦しみが与えられるのだ。

人間界の法律は巧みにすり抜けられても、神の法律から逃れられるものは、誰一人としていないのである。

また、同じような状況で犯された、同じような内容やレベルの過失であっても、それを犯した霊自身の精神の発達度に応じて、与えられる罰の内容は変わってしまう。

未熟(無知)で粗野(野蛮、下等)な霊ほど、精神的というより、物質的な苦しみが与えられる。
また、精神的、感性が発達した霊が犯した罪には、反対に、精神的な苦悩が与えられる。

粗野な霊の場合はまず、彼らが死後に置かれた境涯が、どれほど大変な場所であるかをわからせ、そして次に、本人が自主的に、「ここから逃れたい」という気を起こさせる必要がある。
そうさせるためには、彼らの荒々しい自我(エゴ、精神性)に見合った罰を与える必要がある。

一方で前者の霊とは対照的に、ほんのわずか「恥」の感覚を味わわせるだけで、耐えがたいほどの恥ずかしさに身もだえしながら後悔や反省をする、高度に発達した霊たちもいるのである。

(※よだんですが、学者や教師のように知的に発達していたり、あるいは宗教や思想のリーダーとなりながら、スピリチュアリズムを無視したり、過ちを犯した霊が地上に生まれ変わって地上に再生した場合、過去生のカルマを消化するため、あえて知的障害発達障害、もしくは身体的な障害を負って生まれるケースが少なくないそうです)

神(※宇宙の秩序、法則性、創造者)が実施する刑法においては、どんな些細な点でも、智慧、善意、そして周到さが行き渡っているのである。
死後の世界では、すべてがバランスよく配分されており、あらゆる面で、過ちを犯した人間が、最も早く立ち直れるように配慮がなされている。

そして魂の「善へのあこがれ」は、それがどれほどささいなものであっても、決して神から見逃されることがありません。