スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

他界後と悔い改めのこと


人間が、肉体の死を迎えると、まず霊体が離れます(正確には、霊体と肉体をつないでいるシルバーコードが切れてから、霊体が離れます)

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その後、早ければ数日、遅い人で(ショック死や長く患っていた場合ですとか)月単位という長さの場合もあるようです。

この「第二の死」は、霊が、幽体という、次の幽界で暮らすために必要な魂の入れ物をまとって、自分自身を幽界生活に適した"仕様"にするためのものです。
それはあたかも、さなぎからチョウが生まれるようなもののようです。

そして、幽体姿の霊で、しかも地上を彷徨っている霊を、幽霊、もしくは地縛霊と言います。
ちなみにこの幽体。
さらに上の世界である、霊界に上がる時、再び、第三の死と眠りが起きて、幽体が抜け落ち、霊体になります。
そしてこの時はもう、人型はしておらず、光球ともうしますか、光を放つ物体のような姿になるそうです (ただし、霊界から下の階層にいって、そこで暮らす霊たちに会う時、イメージで肉体を作ってから会うこともあるそうです)


***


話を戻します。

肉体から離れて、寝ている間、あるいは、いったん目が覚めて幽界生活が始まってから、「悔い改め」が始まります。

たいがいは守護霊がついて、指導するようなのですが、今生の一生の生き方を振り返るそうです。
そして、反省 をします。
ほぼ全員がなんらかの過失を思い起こしてはそれについて後悔をし、芯から悔い改めるよう、徹底して反省させられます。

これが 「悔い改め」 で、人によっては、人間の時間でいうと100年単位という長さで、自らの罪悪感や後悔という念で作られた「檻」に閉じ込め、とことん悔い改めをさせられるとのこと。

そして解放された後は、再び、地上に生まれ、その悔い改めが本物かどうなのかを試されたり、本物でしたらもっと霊格をあげるよう、数々の試練に見舞われ、鍛えられます。
もし、人間界では同情を引く事件の被害者になったとしても、それは、過去生の失敗(カルマを清算するには止むを得なかったこと、になるそうです。


ということは。

今生で、「どうして私の人生はこんなに不幸の連続なの?」と感じる場合、それは、過去生で相当悪いことをしてきたせい、と言えます。
数々の霊界通信を読んでいると、それは100%、間違いありません。

ですから、そうなってしまったのは、その始まりのタネを蒔いてしまったのは自分、なのです。

また、マザーテレサを始め、今生で立派な生き方をしている人ほど、実は過去生で大罪をおかしたことは、ほぼ間違いありません (イエスのケースのように、救済のために、わざわざ霊界から降りてくる高級な位の霊ではない限り。つまり高級霊の生まれ変わりなら、その人は、今生でも存在感や生き方がひときわ際立っているはずです。ましてや、宗教団体の教祖やリーダーにもなりません。 生前のイエスがそうだったように)

そう考えますと、日常的に、善行をするのは当たり前のこと。
そしてその善行も、その数や規模が多くて、ようやく本物 と言えるようになると思います。


もしもこの世での試練や不幸から抜け出したければ、運ですとか誰かのせいにはしないで、真摯で謙虚に、自分のエゴイズム、無知さや未熟さといった誤ちを認めて反省をし、さらには善行と利他を実践していくのが、最善の道です。

不幸を嘆いたり恨んだり文句を言ってても、解決しないどころか、"死んだら" その苦痛はもっと何倍にも膨れ上がり(幽体の感覚は人間の数倍も強いそうです)、大変な苦しみになるそうです。

これがいわゆる、「地獄のような苦しみ」です。

ですから、今生で辛いことが起きても、何かをされても、辛抱で、愛と良心で対応できる自分になれるよう、努力をするのが本当に正しい対処の仕方、地上界での生き方、となります。

そうでなければまたしても再生(転生)をしくじってしまうことになるので、再びあの世で悔い改めをし、それからまた地上に生まれ変わって様々な試練を経験しなければならなくなります。
(ブッダもこのことに気づいて、だから解脱する、つまりもう輪廻しなくて済むように地上で暮らしましょうということを教えようとしたのだと思います)

善霊や高級霊しかいない霊界は素晴らしい所であり、人間が想像できる最高の理想郷のようなところだそうです。
もちろん、地上生活のような苦痛や試練とは無縁の場所です。

私たちは今生で暮らしていても(睡眠中に)、あるいは死後(幽界)ででも、自分の守護霊にそこに連れて行ってもらい、霊界生活がどんなに素晴らしいかを見せてもらうことで、ますます霊的向上心や意欲に火が着いて生きていけるようになる、という教育もされるそうです。
ですから誰でも自発的に、『善行をしなければならない』、という意志や気持ちがあるはずで、それはこうした理由や動機が一つ、あるからだと言えます。
幽界じゃなく、霊界=天国 へと行きたいから です。

けれども地上で失敗の人生の連続をする、つまり何度も転生するしかないと、霊界行きはそれだけ遅くなります。

ですから、地上への再生(生まれ変わり)も、そして過去生を思い出すことはさらに、本当は惨めで恥ずかしいことになるようです。
失敗や苦痛の連続だった過去の人生のことなど、忘れていた方がよほど幸せなんですね。
(でなければ、そもそも地上に生まれてきていませんので)


終わりよければすべて良し、と言います。

残された地上生活の時間が、例え短いものであっても、早い段階で悔い改めて、霊(界生活)的に生きれば、死後の悔い改めの程度は弱まります。
そうすれば、もしかしたらもう、試練の人生でしかない地上への再生はしなくて済むかもしれません。


宇宙の法(神・創造主。真理、法則)は、完璧で絶対で誰に対しても公平です。
人間の法律は上手くすり抜けられても、霊の法では、決して見過ごされないもののようです。