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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

神とは愛であり、希望であり、喜びです。

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こんにちは。

真のスピリチュアリストであれば、死後の存続や霊界の存在を信じていますし、また、自分たちが地上に生まれてきた理由も知っています。
それらは大まかに2つ。

「前回の生で犯した過ちや後悔を清算すること」と、「利他愛や奉仕を通じて、魂の霊格を向上させること」です。
そしてさらにそうした知識を知っているだけでなく、実際にコツコツと、日々の暮らしの中で実践しているものです。


もちろん、死後の世界、つまり霊界がどういう所かも知っています。

霊界では何もかもが光り輝いて(玉虫色のようなオーラを放って)美しいだけでなく、至るところに愛に溢れ、何の不安や恐れもなく暮らせ、素晴らしい所なのだそうです。

となると、「ではそんなに魅力的な場所なら、少しでも早く地上生活を終えて、そちらに行ったほうが良いんじゃないの? 自殺したって良いんじゃないの?」という風にお考えのかたもいらっしゃるかと思います。

ですが実際には、霊界に行くことは、普通に寿命を終えたとしてもそう簡単なことではないようです。

もしも、(地上生活に悲観や絶望した理由では特に)自死によって自らの命を縮めてしまった場合、死後、自分の心身に激しい苦しみや痛み、不快感を感じ、しかもそれが四六時中果てしもなく続くかのような、そんな状態になってしまうのだそうです。

一方で、寿命を全うしたとしても、それまでどんな風に生きてきたか。
その生き方の質や中身が問われ、それによっては、徹底的な反省会を行うことが先になり、すると天国行きはそれが終わるまで(長ければ何百年とか)お預けになります。
しかもその間の生活環境の劣悪さというのは、地上生活の試練とは、比べ物にならないくらいだそうです。
でもだからこそ、徹底して、心の奥底から悔い改めようという気持ちになれるのでしょうけれど。。。

と言った理由から、特に自殺についてはスピリチュアリストなら決してしてはならないもの、になります。
例え、どれほど、霊界の素晴らしさを知ったとしても。

と同時に、そのおかげで、次々と自分の身に降りかかる人生の試練にも耐えることができます。
それは、そうすればするほど、今生を終えた後の「天国行き」が確実になりますし、死後の移動も早まることを知っているからです。

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そして、もう一つ。
スピリチュアリストが、試練を受け入れ、それを乗り越えるための支えになるのが、神 の存在です。

スピリチュアリストが信じる(信仰する)「神」とは、宗教の教義(バイブル)そのものでしたり、名前の付いたまるで人間のような個性や姿形をした神、ではありません。
自分自身を拝み奉ることを望んだり、お金やお供え物、はたまた立派な建物を要求するものでもありません。

真の神とは、この壮大な宇宙を作った、意識やエネルギー、創造主です。
無数に存在する霊たちの頂点です。
とてつもなく大きな存在なので、霊格の低い人間ごときにはまったくもって理解できません。

ただいえることは、神とは何だかわからないけれど、ありとあらゆるものを創り出す創造的なものであり、宇宙の営みが調和とバランスが取れた状態で行われるための、絶対であり完璧な秩序や法則(真理)そのものでもある、ということです。

そしてその中に、霊界の存在ですとか、生まれ変わり(霊的進化)の仕組み・秩序法則も含まれているのですね。

ですから、「神」は、命の源であり、父であり、母でもある。
スピリチュアリストは自然と、そうした「神」を敬愛し、また神そのものである宇宙の森羅万象の秩序法則も受け入れ、それにのっとって(ナチュラルに)生きていこうとします。

そしてそれは、宗教というよりも、信じること、なので、信心すること・信仰 という表現の方がピッタリと思います。
宗教と信仰とはそもそも別物なので。

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とはいえ、生きていると、次から次へといろんな試練が降りかかってきます。
一つ乗り越えたと思うと、また始まる。
けれどそれを経験するために生まれてきているので、しかたがないこと、なのですね。

となると、私もそうでしたが、いくらスピリチュアリズムを実践しているとはいえ、やはり生身の人間。
「どうしてこんなにつらい目に遭うんだろう」って、不安や孤独や悲観にさいなまれ、悩んでしまうことも多々あります。

さすがに自殺はしませんが、けれども、「こんなに辛いことばかりなら、神さま、どうぞ少しでも早く私の地上生活を終わらせてください。 霊界に連れていってください」といったことを、密かに心の中で思ってしまったり、諦め気分になったり。

ですが。
それはスピリチュアリストなら、誤った考えで行為、なんですね。
なぜなら、神は愛であり、勇気であり、希望であり、喜び、そのものだから、です。

神を信じたいのならば、信仰しているのならなおさら、自分の人生や未来に、愛や喜び、希望を見ていなければ、その信心の中身はまがい物、嘘になります。

つまり、もしも自分の未来に悲観や不安、絶望を感じているようなら、そのスピリチュアリストは本当の意味で神を信じていない(信頼していない、愛していない)証し、ということになるのです。

真に神を感じ信頼しているなら、その人は、いつどんな時も安らぎや喜び、明るさ・希望に満ちた心でいられるはずなんですね。
そしてこれが、真の信仰、なのだと思います。
その人は本当の意味で「私は神を信じている」と言える人だと思います。

とはいえ、そうした境地(悟り)に至るまでには、たくさんの試練や学びを経験しなければ、何があってもその考えが揺るがない、つまり本物となるところまでは行けないだろうと思います。

ですが、そこを超えた時、心の中にはいつも神がいてくれる状態に。
すなわち、純粋で崇高で温かな愛と、希望と、喜びで、いつも心が満たされているような、そんな精神状態で、一生生きていける、ということですね。

病気になっても、お金で困っても、大切な人を失っても。
人生も自分も他人も、恨まない、後悔しない、くよくよしない。
それはそれでその現実を冷静に受け入れて、その試練さえ、価値あるもの、生きる喜びに変えていく。

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スピリチュアリズムを学び、そして繰り返し実践していくと、自然に、そうした知恵が身に着いてまいります。

そしてそれが出来るようになればなるほど、その際に経験できるうれしさや感激というのは、どんな言葉でも言い表せないほどに美しく、素晴らしいものと思います。