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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

王さまから物乞いに生まれ変わった霊が語る実話から

■ 死んだらどうなるのか? ■ 霊界の様子について ■ 霊性の進化のプロセス



今日の記事は、アラン・カルデックの「霊との対話」 II から内容の一部をお借りして、読みやすいよう修正を施して、ご紹介してゆきたいと思います。

ちなみに、私はこの本の出版元が宗教団体であることには強い違和感を感じていますが、それとは別に、特にスピリチュアリズム初心者のみなさんには良質の知識や情報を提供してくれる価値ある一冊と思います。

「自分がしてもらいたいことを他の人にしなさい」 - スジメル・スリズゴル霊の通信より(※ 実話です)


スリズゴルは、ヴィルナに住む貧しいユダヤ教徒で、1865年に亡くなった。
30年間、彼はお椀を手に、物乞いをして過ごした。
人々は街の至るところで彼の声を聞いたものである。

「貧しい者、寡婦、孤児たちに、どうぞ哀れみを!」

一生を通じて彼は9万ルーブルの施しを受けた。
けれどもそのうちの一銭たりとも、自分のためには使わなかった。

そのすべてを病人たちに与え、しかも自ら買って出て、彼らの世話をしていた。
また、貧しい家の子どもたちには代わりに学費を払ってあげ、貧しい人たちにもらった食べ物を分け与えていた。

彼は徹夜して嗅ぎタバコを作ってはそれを売って、自分の生活費に充てていた。
そして余った残りはすべて惜しみなく貧しい人たちに与えていた。

スリズゴルは天涯孤独の身だったが、彼の葬儀には、町中の人びとが葬列に加わり、その際、町中の店という店が休業した。


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1865年6月5日  パリ霊実在主義協会にて


―― (※ スリズゴル氏を)招霊します


「地上での支払いは高くつきましたが、とうとう目的を果たし、私は今、幸福の絶頂にあります。

今夜はこのセッションの冒頭から参加させていただいております。
哀れな乞食の霊に関心を寄せて下さり、心からお礼申し上げます。
喜んであなたがたの質問にお答えいたしましょう」



―― ヴぇルナにお住いの、ある人物から届いた手紙から、あなたの奇特で素晴らしい生涯のことを知りました。 そこで、今夜、あなたをここにお招きした次第です。

(略)

現在は霊として、どのように過ごしてらっしゃるのか?、今回の人生はどのような理由であのようなものになったのか? をお話していただけますでしょうか?


「ではまずはじめに、自分が置かれた立場がいかなるものかを熟知しております私自身の口から、あなたのお考えに対する率直な意見を語らせてください。
けれどもしも誤りがありましたら、ぜひご忠告をお願いいたします。

さて、私のような、何の取り柄もない人間が、その地上時代のささやかな行為によってみなさまの共感を呼び、その結果、このような大がかりな交霊会が開かれることになったことに、あなたがたはさぞ不思議に思われていることでしょう。

これはアランカルデック氏や、霊媒およびスピリチュアリズム協会の会員のみなさまに対してではなく、霊実在主義を否定している皆さんに向けて申し上げております。


善の実践が大衆の精神面に及ぼす影響力というのは非常に大きく、常日頃、どれほど物質世界寄りの生き方をなさってらっしゃる方々でも、やはり善を好むものです。
自分に悪の傾向があっても、善なる行為は称えようとします。

だからこそ、今宵これほど多くのみなさまがここに集い、このように大規模な公開セッションが行われることになったのです。

(略)

ではこれから、私が今回の転生における生き方を決めた理由について、お話したいと思います。

私は数世紀前に、ある国の王として暮らしておりました。
その領土は、今のフランスと比べればいささか見劣りのする規模でしたが、それでも私はその国において絶対的な権力を持ち、家臣たちの運命を我が手中に収めておりました。

私は当時、暴君として、いやむしろ死刑執行人と言ったほうが良いでしょう、生きておりました。

横暴で気性が激しく、強欲で、色を好む(※女好き)王のもとで、哀れな家臣たちがどうなるかは、あなた方にも想像が容易でしょう。

私は自分の地位や権力を濫用して、弱い人々を抑圧し、すべての領民たちを自分の私利私欲に任せてこき使っておりました。
物乞いをして得た金品にさえ、私は税金をかけたのです。

それにより、誰一人として、高い税金を払わずに物乞いをすることができなくなりました。
いや、それだけではありません。
物乞いたちの人数を減らさないために、いずれそうなりそうな貧しい者たちが彼らの友人知人や家族からわずかな物品さえ受け取ることを禁じたのです。
それは、そのようにしなければ、彼らが物乞いになって税金が取れないからです。

ようするに当時の私は、貧困にあえぎ苦しむ人々に対し、最も無慈悲な人間であったというわけです。

やがて私は、恐ろしいほどの耐えがたい苦しみの中でその地上生活を終えました。

そしてその後、250年もの間、霊界で一人彷徨い続けました。
それだけの長い年月をかけてようやく、地上に生まれる本当の目的を悟ることができたのです。

それからの私は後悔や反省、祈りを通じて、再び地上に生まれ変わって、前の生で私が領民たちに味わわせたのと同じ、あるいはそれ以上の苦しみを耐え忍ぶという試練を自分に与えてもらえたのです。
しかも神は、「精神的、肉体的な苦痛はさらに激しいものにしたい」という私が自ら望んだ願いを叶えてくださいました。

今生では、霊界の天使たち(※世話役の指導霊たち)に幾度となく助けてもらいながら、「善行を行う」という、転生前の自分の決意を貫きとおせたのです。

こうして今回の人生を終えたのですが、その間に成した献身と慈悲の行為は、かつての残酷で不実にまみれた過去生の生涯をかろうじてあがなった、ということのようです。



私は貧しい両親のもとに生まれ、幼い頃に孤児となり、また年端もゆかぬうちに、ひとりで生きていくことを学びました。
たった一人で、愛も情けも知らないまま生き、さらに私がかつて人々に行ったのと同じだけの仕打ちを受けたのです。
誇張でも自慢でもなく、それは紛れもない事実でした。

そして私は自分の生活を極度に切り詰めて、社会奉仕をし、できるだけ善良に生きることに務めました。

地上生活を終える時、今生で積んだ徳はおそらく十分であろうと想いながら、私は安らかな気持ちでこの世を去ったのですが、いざ霊界に戻ってみると、頂いたご褒美は自分の予想をはるかに上回るものでした。
私は今、大変、幸福です。

そこであなたがたにお伝えしたいのは、「みずからを高くするものは低くされ、みずからを低くするものは高くされる」 という真理です。


(ここで、「では今回の転生の前に、霊界でどんな償いをしてきましたか?」といった質問を受けます)


「あぁ、それを思い出すのは今でもとても辛いことです!
どれほど苦しんだことでしょう!
けれど嘆くのはやめて、みなさんのためにも、思い出してみることにいたします。
それは恐ろしいものでした。

あらゆる善き人々に対する"死刑執行人"だった私は、長いあいだ、そう実に長い間、腐っていく自分の肉体に、シルバーコード(魂の緒)でつなぎとめられたままだったのです。

肉体が完全に腐るまで、私あ、うじ虫たちが自分の身体を食い荒らす様子を感じていたのです。
あぁ、何とひどい拷問だったことか!

そしてようやくシルバーコードが切れて肉体から解き放たれたと思ったら、今度はもっと恐ろしい罰が待ち構えていたのです。

肉体の苦痛が終わったと思ったら、今度は、精神的な苦痛が始まったのです。
しかもその苦しみは、肉体の苦痛を感じていた時よりも、もっと長く続いたのです。

私は自分が苦しめたすべての犠牲者たちの姿を、目の前で、ずっと見せられました。
何かわからない大きな力によって引っ張り出され、定期的に、自分が行った罪深い行為の一部始終やその結末を見せつけられたのです。

自分が行った、ありとあらゆる肉体的・精神的な苦痛を、すべてつぶさに、見させられたのです。


あぁ友人たちよ。
自分が苦しめた人々の姿を、延々と見せられるということが、どれほどの苦痛か、おわかりでしょうか。

これが私は2世紀半をかけて行ってきた償いなのです。

やがて神は私を哀れみ、また私の指導霊の懇願も聞き届けてくださり、ついに私は、再び地上に生まれ変わり、過去の償いをすることを許されたのです」


―― ユダヤ教徒になることを選ばれたのは何か理由があったのですか?


「それは私が選んだのではなく、単に自分の指導霊の忠告に従っただけでした。
けれどもユダヤ教徒だったことも、今回の人生では大きな試練の一つになりました。
というのも、ある国々においては、ほとんどの人が、ユダヤ教徒を見下しているからです。
それが物乞いとなればなおさらです」


―― 今回の人生では何歳から地上での計画を実行されはじめたのですか?
 どうしてその計画を思い出せたのですか?  そのようにして生活を切り詰めては慈悲の行為を行っていた際、それは何らかのインスピレーションによってそのような行動に駆り立てられていたのでしょうか?


「私は、貧しいが知性は高く、欲深い両親のもとに生まれました。
そのうち母は私がまだ幼い時に亡くなり、その後父は口減らしのために私を捨てました。
子どもの私は母親を恋しがっては悲嘆にくれていました。

すると別のユダヤ教徒が、親切心というよりも利己心から、孤児の私を拾い、仕事を覚えさせたのです。
働きづめでしたが、それによる収入は、当時の暮らしには十分なものでした。

しかし、いつどんな時でも、母親への思慕が蘇ります。
そしてさらに成長するにつれ、そうした記憶は私の心に深く刻まれてゆきました。
私は絶えず、母親のぬくもりや愛情を恋しがっておりました。

やがて私を引き取ったユダヤ人が亡くなり、再び、一人ぼっちになりました。
そしてその時に、「残りの人生をどのように過ごすか?」という霊からの啓示を受けたのです。

当時、私の実の兄たちのうちの2人が、遺児を残しておりました。
その子供たちの姿に私は幼かった頃の自分自身を重ね合わせ、その子たちを引き取りました。
けれども当時の稼ぎでは足りませんでした。

その時私は、自分のためではなく、子どもたちのために、物乞いをしようと決心したのです。

ところが、神さまは私が自分の努力の成果を楽しむことはお許しくださいませんでした。
というのも、やがて子供たちが、永遠に、私の元を去って行ってしまったからです。
その時私は、彼らが欲しがっていたものがわかりました。
それは、母性だったのです。

そこで私は、今度は、不幸な寡婦たちに、慈善行為を行いました。
というのも、彼女たちは、自分の稼ぎだけでは子どもたちを育てられず、そのために自分の食事を切り詰めて命を落としてしまうケースがしばしばあったからでした。
そうして残された孤児たちは、私自身が子供の頃に味わったのと同じ苦しみを味わうことになったのです。

当時30歳の私は、寡婦と孤児のために物乞いをしていましたが、最初はうまくいかず、屈辱的な言葉を幾度となくぶつけられ、それに耐え忍ばなければなりませんでした。

しかし私が、物乞いで得たものすべてを貧しい人々のために差し出して、しかも自分の稼ぎで余った分もそこに継ぎ足して与えているのを見て、やがて人々は私に対する見方を変え、そのおかげで私はだいぶ楽に生きられるようになりました。

そうして60過ぎまで生きましたが、その間、自分に課した仕事をないがしろにしたことは一度もありません。
またそのような自分の心がけや行為が、実は過去生の罪をあがなうためのものであったと気づくことも決してありませんでした。

『人からされたくないことは、決して人にしてはならない』

私は常日頃、この言葉を反芻しておりました。
そして次の言葉を付け加えました。
『自分がしてもらいたいと思うことを、人にもしてあげなさい』と。

かくして私は、母親の記憶と自分自身の苦しみの記憶に助けられ、かつて自分が決めた道を、最後まで貫くことができたのです」