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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

死後の、霊界生活事情としきたり(その2)



こんにちは。

早速ですが、昨日の記事 の続きです。


(16)転生への最初のステップは悔い改めだが、それだけでは十分ではない。
引き続き、償いが求められる。
過ちの残滓を消し去るためには、悔い改めと贖い、賠償の、この3つの条件は不可欠である。
悔い改めによって希望が生まれ、再生への道が開かれる。


(17)悔恨は霊界でも地上でも、いつ何時どんな場所であっても起こりうる。
けれども、罪を犯した霊の霊界での苦しみは長引く。


(18)未熟で不完全な霊は、調和を乱すため、幸福な世界から追放される。
彼らはより低級な霊界次元にとどまり、自らの過失を悔い改め、償っていく。
やがてより上位の世界へと移動する。


(19)霊たちは常に自由意志を持つため、たまに霊的成長が遅くなることがあったり、悔い改めをしようとしない者もいる。
すると苦悩の状態は数年、もしくは100年にも及ぶことがある。


(20)霊的進化成長が遅れていたり、かたくなに拒否する霊であっても、神は彼らを見放さない。


(21)過ちへの責任は完全にその本人のものである。
他の誰かが犯した過ちを肩代わりしてあげることはできない。
ただし、事の発端が自分が誰かをそそのかしたり、彼らの誤った行為を引き止めなかった場合を除いて。

自殺は常に厳罰に処される。
しかし、誰かにつらく当たって絶望させ、自殺を仕向けた人は、自殺した本人の罪よりもさらに重い罪が課せられる。


(22)罪の多様性は無限だが、魂の進化がまだ未熟な霊の場合はそのプロセスがわずかに少ない。

物質世界に執着し霊的進化を怠った人々はもっとも一般的なケースで、死後、彼らの魂と肉体の分離は遅くなってしまう。
その際彼らはその苦痛に悶絶しながら死後の世界があることに気づき、またそのような状態は数か月、長ければ数年にも及ぶことがある。

一方で地上生活においても唯物主義からは解放され、すでにスピリチュアルな生活を送っていた、意識の純度が高い霊の死の分離は素早く、スムーズで簡単である。
その際の、霊に生まれかわった時の目覚めは喜びに溢れ、死のショックによる混乱はほとんど見られない。


(23)道徳的霊的進化をしていない霊たちによく起こりがちな現象は、肉体の死を迎えてもなお、自分たちはまだ生きていると思い込み、その妄想が何年も続き、その間彼らは引き続き、物質界的な物欲や苦しみ、試練を経験する。


(24)罪を犯した者は、被害者や自分が罪を犯した当時の様子、そして自らが与えた残酷な仕打ちを延々と絶え間なく、自分の目前で見させられることになる。


(25)ある霊たちは漆黒の暗闇の中に置かれる。
またある霊たちは、完全に孤立させ、無視される苦しみを味わう。
生前罪を犯したものたちの場合、いつ終わるともわからない責め苦の厳しさがさらに増す。
ほとんどが、生前親しかった人たちとも引き離される。
そしてひとたび後悔や償いをし始めるとその苦悩が和らぎ、また自分自身の努力の末にその状態を終結させることができる。


(26)地上時代に自分が見下していた人々が、死後の世界では自分よりも高みにいて、神に祝福されている様子を見るのは屈辱的である。
また心に秘めていた考えは、光が貫いて、白日の下に暴露され、ほかの人々に読まれてしまう。
そしてそれは、ごまかしたり隠すこともできない。
快楽に溺れていた者は、あらゆる類の誘惑や欲望にさらされても、満足することができない。
守銭奴は彼らの金貨がどんどん奪われ、またいくらあっても満足することができない。
自分勝手な者はみんなに見捨てられ、生前自分が人に与えた苦しみを自分が経験することになる。
のどが渇いて懇願しても、だれも飲みものを与えてはくれないし、空腹でも食べものは分けてもらえない。
親切にしてくれる人はだれ一人おらず、慰めの声をかけてくれる人もいない。
生前の彼らがしていたように、霊界でも彼らのことを気に掛けたり、優しさを見せてくれる人が一人もいない。


(27)死後のために過ちを犯さないようにしたり軽くするには、地上で暮らしている間にできるだけ、それらをなくしておくことである。
そうすれば、死後、地上で犯した過ちを、地上にいる間に経験するよりも強い苦痛を伴う経験を経て修復する必要がなくなる。


(28)死後に暮らす境涯は、地上時代に育ててきた自分の霊格にそのまま見合ったものになる。
やがて次の転生の機会が訪れるが、それは新たなチャレンジを通して過去世での過失を償ったり修復させるためのものである。
そしてその経験から得られる価値が大きいか小さいかは、その霊の自由意志による遂行のしかた次第になる。

もしもそこから何も得なければ、再び試練に挑戦しなければならなくなり、回を増すごとに痛ましいものになってゆく。


(29)神の慈悲は無限である。けれどもその目は節穴ではない。
見逃された罪は、自らが償うまで、免れない。
それは、神は冷酷で容赦ないということではなく、むしろ、善良さを取り戻した罪びとを受け入れるために、そのドアを常に開け放っている。


(30)苦悩や試練は一時的なものであり、その内容は霊の自由意志による悔恨や償いによる。
けれどもそれは同時に、悪によってできた傷を癒すものでもある。


(31)霊たちは、地上への転生後、霊界で学んだ経験を試練に生かそうとする。
一見何の意味もないように見受けられる不運や試練も、それは転生する前に自ら決めてきたものであるし、自身を完成に導くのに欠かせない経験なのである。


(32)「なぜ神は私たちを完璧に作ってくださらなかったのか?」とよく言われる。
でもそうしなかったのは、神自身がより、世界の秩序を進化させたかったからだ。


(33)不完全で未熟な霊たちの苦しみかたは、罪の償いの種類によって、無限にある。
そして地上生活を終えたのちの、運命を決める要素は、この3つである。

① 苦しみは己の魂の未熟さから生じる
② いかなる不安全さとそれが引き起こした過ちは、自身の内に、罰と避けられない運命を与える。 病気は過剰さから、そして退廃は怠惰から自然と生じるように。
③ すべての霊は自分の意志によって、自らの不完全性(※不運、試練)から自由になれる。
自ら病を治し、自身の将来の幸福を確かなものにすることができる。


以上が、天国のみならず地上にも通じる真理であり、神の正義の法である。


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