スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

つぶやき

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さっき数秘のBlogを書き終えてから、今日初めてニュースを見て、フランスの事件のことを知りました。
ショックというより、哀しくてしかたがない。
そうしたニュースをただ遠くから見ているだけの自分って、なんて非力なんだろう。
情けなくも感じています。

力づくで封じ込めようとすればするだけ、その分、ますます抵抗されて、ますます事態は悪化してしまってる。

やはり、愛(豊かさややさしさ)に勝る解決方法はないのだなと、改めて思いました。
決して、相手を憎んだり恨んだりして、その怒りや復讐心で、相手を改心させようとするのではなく。

もちろん、ご本人やご家族の怒りや無念さを思えば、そんなきれいごとなど言ってられないでしょう。

そんな私も以前、自分に理不尽なことをしたある人たちを許せなくて、悔しくて悔しくて。
その怒りや恨みから、その人たちをずっと憎んでいたことがありました。
今はもうそれも無くなって、思い出しても深追いすることがない、つまり気にならなくなる程度にまでになりました。
そうなってみて思うのは、人を恨んで生きることは、どれほど不幸なことなんだ、ということです。

それがあるうちは、どれほど表向きの暮らしがうまくいってても、心から、幸せだと思えないもの。
うれしいことがあっても素直には喜べません。
なんか、すっきりと喜べないのです。
いつもいつも、心の上にずっしりと重たい石がのしかかっていたりとか、暗い影につきまとわれている、そんな気分で過ごしていました。
憎んだり恨みながら暮らしてたあの時期は、今振り返って思い出してみても、色でいうと黒に近いグレーで、決して「良い時期」ではありませんでした。
もちろん、その間に、うれしいことや良いこともあったのですが。。。


憎しみや怒りが消えなければ、「どうでもよい過去」、なのでつまり「忘れてしまえる記憶」に変えることができないんですね。

犯した罪の償いは、こちらから自分の魂を汚すかのように自ら手を下さなくても、必ず後でどこかの誰かから罰を受けることになるんです。
天(善、愛)の秩序法則は絶対ですから、そこから逃れることはできませんので。

ですから、スピリチュアリズムの観点からは、それでも、暴力に訴えることなく、耐えてゆかなければならないのです。
また、これ以上、犠牲者を増やさないためにも。


悪意をもって人を傷つけてはならない。
その行為自体は憎むべきものですが、ただ。。。
そもそも犯人たちは世間への恨みつらみからあのような残忍な犯罪を犯した(報復した)ということを、忘れてはいけないと思いました。

一日も早く、テロを無くすためには、こうした実情を正面から見すえて、受け止めてゆかなければ。


しかし、哀しい…。
みんな、かわいそう。
みんな、悲劇の主人公、被害者だ。

亡くなられたかたには、今日一日、できる限りご冥福をお祈りしていようと思います。


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