スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

本物の霊能者とはこういう人をいいます ― 長南年恵さん(3)



今日の記事は連載3回目です。
spiritual358.hatenablog.com

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こちらの本からお借りしました

死後の世界の証明―霊界実存の書 (広済堂ブックス)  丹波哲郎 著




ところがそんな彼女にも、だれもが不思議に感じる弱点があった。
だれかが彼女の背後を通ったりすると、ものの見事に力を失って、へなへなと崩れ落ちてしまうのだ。
(※ 同じことを、幽体離脱で何度も霊界を訪れ、詳細な記述を残している、元科学者のスウェーデンボルグも手記に書き記しています。連載一回目の記事の中でも触れています)

わざと彼女がそうして見せたのならともかく、とてもそのようには思えなかったそうで、まわりの人間にはとても理解できないことだったと伝えられている。

また年恵の死ぬ直前の写真が残っているが、まことに若く、43歳のはずなのに17,8にしか見えない。

死んだとき湯濯した人たちは、その肉体はまさに二十歳代のものだったと証言している。

***

この年恵と親しかった女性に、高野寿鶴というひとがいた。

寿鶴さんと彼女とのそもそものつながりは、生家に年恵が手伝いに来ていたことによるもので、寿鶴さんがまだ5,6歳の頃のことだったそうである。

やがて明治27年に、”酒田大震災” と呼ばれる災害によって、寿鶴さんの生家も根こそぎ焼けて再起も難しいような状態になったころ、たまたま鶴岡に高等女学校ができることになったらしい。

寿鶴さんは入学したいと思ったものの、学資をつづけることは困難とあきらめかけていたところ、彼女が、「私が食事をしないから、そのかわり寿鶴ちゃんをおいてやろう」と言って、卒業するまでの4年間を同居させてくれ、寿鶴さんはそこから高等女学校に通ったものだという。


そうした縁で寿鶴さんはその後も年恵を慕ってその家を往来し、いろいろな事績や人となりを、つぶさに見聞きした様子である。
その "証言" が、「渡部政三氏宛ての書状」に、いろいろと書き連ねてある。

「お体は白く透き通るようで、血の気などないものでした。(※ クルックス博士がおこなった交霊実験に現れたケイティキング霊の様子もよく似ています)
【クルックス博士とケイティキング霊】
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それでも御髪などは長く真黒で、いつも気高い匂いがいたしました。
御機嫌のよい時は力比べなどなされ、皆の人々とたわむれておられたこともございましたが、腕相撲などとても強そうな男でもかなわないようでした。
大きな大人を軽々とおんぶして早く歩いておられました。
御自分もひとにおんぶなさり、軽くしようと言ってみたり、重くしようと言うと、とても立ち上がれぬようにしたいなど自由でした」

また寿鶴さん自身も14歳のときに胃をこわしてなかなか治らなかったおり、母親に連れられて酒田から鶴岡の年恵のところへゆき、例の「霊水」によって完治したとあるのだが、その様子は次のようであった。

「いろいろの難病を治していただいたことを伝え聞きまして近い所からも遠い所からも、病気を治していただきたくお願いに来る人が多くなりました。
年恵様はその人々の代りに一心込めて神様や仏様にお願いしておられますと、神前の間の上空に天照大神はシチリキ、古峰ケ原金剛山様は笛、大日如来様はやや大きな鈴の音等(神によってその音楽が異なる)を一日何回と拝しました (※ これは霊的物理現象によってどこからともなく音が聞こえてきた、という意味です。19世紀のヨーロッパでも、霊の声が辺りに響いたり、重いものが宙に浮かんだりといった現象が交霊会の場で数多く出現していました
http://sp-phenomena.in.coocan.jp/part3/p3chapter1/p3c1-0B.htm:霊的物理現象について]

病気を治していただきたい人々は各々名を付けて瓶を差し出して願っておりますのですが、多い時は一度に30本以上も一緒に、各別々の色をしたお水を瓶いっぱいにくださいました」


「(略)神授の薬水といふのは、御承知の通り、こちらから瓶を持参し、栓のまま年恵女にお渡しすると、一度に御神水が瓶の中に出現するので、薬水の色は患者毎に皆異ひます。
私の持参した瓶は約三合入のもので、私自身戴きに上つたこともありました。
年恵様は一人づつ患者を呼んで瓶を渡し、心得等につきてくはしくお離し下さるのでした。
心掛けの悪しきものは神水が下りませんでした」


「病気を治していただきたい人は、各々名を付けて瓶を差出して願つておりますのですが、多い時は一度に三十本以上も一緒に各別々の色をしたお水を瓶一ぱいにくださいました。
重い病人を代理でお願いに参りますと、その人が年恵様の家の敷居をまたぐと同時に、年恵様のお体が、その病人と同様の苦痛が始まりますので、実に見ていてお気の毒に堪えないように思うのでございました」

(略)

この年恵のように顕著な例はごくまれだが、霊能者の存在は霊界の存在と等しいものなのである。