スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

『巨人 スウェデンボルグ伝』

世界で初めて体外離脱の記録を本を残した天才、エマニュエル・スウェーデンボルグ

こちらの本には、スウェーデンボルグの生涯やエピソード、また彼が残したメモや日記等をもとに、体外離脱が始まった経緯やその後の状況についてもまとめられています(出版後、ニューヨークタイムズが大きく紙面を使って称賛の書評を掲載したそうです)。
スピリチュアリストのみならず、スウェーデンボルグファンなら必読書と思います。
しかしとても残念なことに、この貴重な翻訳本はすでに絶版になっています。

巨人 スウェデンボルグ伝

今回は、この本の中から、個人的に特に印象的だったり重要な情報とおぼしき部分を抜粋して、ここにまとめ、記録しておきたいと思います。

P60 
(パブリリウスが「女は憎しみとともに愛する生き物で、彼女らは中道を知らない」という言葉を残している。
それについて、当時21歳で学生だったスウェーデンボルグは、大学の卒業論文の中でこのように述べた(1709年6月1日)


(女性が極端を好む生き物と認めつつも)、女を批判する人間だって同じだ。
彼らのほとんどは他人の尻馬に乗って批判するだけで、自分の見識でその批判の正当性を証明できる者は少ない、と(※ パブリリウスの意見に)反論している。

P60
言葉で善良さを装うのは、悪意よりも悪い

唇は心と一つにしなければならぬ。

悪賢さや陰険な気持ちをもってしゃべるな。
そういう言葉の仮面ははがせ。
言葉で善良さを装うな!

P143
本物の知識のフィールドをつくるためには、自分の想像力を使わねばならない。
それと同時に、彼自身の考えだけに従っている場合には、その想像力がいかに間違いを起こすかということにも、想像力を働かせねばならない。
そういうことが完全にわかっている必要がある(1736年9月の日記)

P151

事実は客観的な方法によって発見されうると考えた。

P152
わかっていない何かのことにつけられた名前が、いったん人間に馴染みのあるものになると、人間はそれを繰り返し使う結果として、そのことを本当に知っているのだという気になってしまうものである。
そういうケースでは、人は、それは何だ? なぜそうなのだ? と問うてみることが必要だ。
それによって、わかっていないこと(※ 自分が気づいていないこと)に近づけるのだ。

P186
感覚的な刺激から心を遮断するには、できるだけゆっくり、浅く、口呼吸をするのがよい。
空気の出入りを少なくすると、思考が集中できるようになる。
しかし、それもやりすぎると、違う現象が起きるきっかけになる。

たとえば、幼児や痴呆の場合のように、コミュニケーションの道が開かれていない場合には、霊魂は働きを示せない。

それなのにわれわれは、霊魂からの流入によるまがいものの光を少しばかり受け取った時でも、自分はそんなものが受け取れるのだといって、他人よりも勝ち誇った気持ちに必ずなってしまうものだ。
また、他人の霊魂をその肉体から判断することも、われわれはやめようとしない。(1736年の日記)

P189
彼らは(北スカンジナビアラップランド人を指す。シャーマン的な霊媒として有名である)、自分の意思でエクスタシー (※ 今でいうトランス状態) に陥れることで知られている。
そうなると彼らは外部的感覚やすべての動きを失い、霊魂の働きとだけ接触するようになる。
エクスタシーから醒めたあとで泥棒を名指ししたり、何かの役に立つ秘密を明らかにしたりするのを目的として実行する。

肉体的には、エクスタシーに陥った人間は呼吸も血液の循環も止まるようだ。
エクスタシー的な生活を送るには、特別な性格が要求される。(1741年ごろ)

このスウェーデンボルグの記述をうけて

P190
(※ おそらく1900年代に、オックスフォード大学で行われた実験では)呼吸を止めると、様々なサイキック現象を体験できることが分かった。 by 著者

P197
憂うつの原因には、霊的原因や、至上の原因もあり、それらは悪い良心あるいは誘惑に基づいている。
このような霊魂の病気は心の中に下ってきて、それから低い心に入り、さらにそこから血液中に入る。
そしてそれは霊魂の組織(肉体)全体を混乱させ、転倒させ、ダメにする。(1744年4月1日の日記)

P206

1743年 55歳頃。
神秘的な体験が増えていく中で、スウェーデンボルグ(※性愛よりもよほど) 自分の中の自己愛や虚栄心に思い悩んでいた。

そして、もっとも苦しめられ、一番悲しんだのは、自分が子供のようになれないこと、(※ 自分の身に起きた体験を)理屈抜きで単純に信じられなかったことだった。

P221
1743年頃

スウェーデンボルグは、シンボルとしての象形文字に興味をもっていた。
そして聖セヴァスチャンの著書の中にこうした記述をみとめた。

聖なるものの顕現は文字や絵画的な形とか、一時的な形で見られることがあり、それはさらに深く解釈できるものである。
人間の外部にある霊的なリアリティとして。

その『霊魂』と同じ霊魂のきらめきを自分の中に持っている者だけが、文字の衣装を透過して永遠のメッセージ、背後に隠れている永遠の神の言葉を理解することができる。

P224
1744年9月頃から(56歳)

スウェーデンボルグはあの世とこの世を自由に行き交い始める。
故人であった知り合いと再会し、話をしたとメモを残す。

P246
1748年3月の日記(※ 霊と話すようになってから33か月後)

世間的な事柄に心を強く奪われている時、たとえば金銭の必要、その日書かねばならない手紙のことなどを考えているとき、私の心はその間、そこに縛られている。
だから自分でで肉体的な状態にいるのを感じ、したがって霊も私と話すことが出来なかった。

霊は世間的あるいは肉体的なことに心を強く奪われている人間とは話ができないのが、私にはよくわかる。
なぜなら、肉体的なかかずらいは、心の考えを引き戻し、それを肉体的なことの中に沈めてしまうからだ。

***

スウェーデンボルグは、自分の体外離脱やチャネリング体験は、朝目が覚めた直後に起きていることに気がついた。
また、それまでの晩は夜通し、"眠っているのでもなく起きているのでもなく、奇妙な昏睡状態の中にいた"。

P316

"天国" の "より内的な" 霊がひとたびスウェーデンボルグの肉体に働きかけてくると、4つの現象が起きることに気がついた。
一つは左のこめかみ、二つ目は左右の肺、次に心臓、最後に漠然とだが腰に何かが起きるのであった。

P324

スウェーデンボルグは、天使たちに羽はない。
より高い霊的な世界("天国" にはいろいろな種類のものがある)に入るのを許されたほど、進化した人間の霊魂だと信じるようになっていた。

P326

霊界により(かなり)慣れた霊界の住人は、"表象" というやり方でコミュニケーションを行う。
つまり、メンタルなイメージで行う。

『私は言葉を使わず、考えだけで霊たちと話すこともある。
それでも彼らは、言葉を使う時と同じように、よく理解する。

"考え" はただ見えるだけでなく、"知覚" できるものである』 (1748年6月8日の日記)


スウェーデンボルグは、霊たちが、彼を通じて自分が肉体的感覚を再体験できることを知る。

(※ 肉体をもつスウェーデンボルグの知覚イメージを反射的に受け取ることで、すでに肉体がない霊たちも、生前のように肉体的な感覚を体験できたので、彼を使ってそれをやりたがっていたようです)

P331
1749年から56年にかけて『天国の秘儀』が出版されたころ。

人間が天国、地獄のいずれに行くにせよ、その前に通過すべき生命の、3つの状態がある。

人間は、死後の第一状態では、生前と同じような顔つき、話し方、性格で、同じような道徳的、世間的生き方をしている。
そこで彼は、自分が直面することに子細な注意を払わない限り、まだ人間界にいるのだと思ってしまう。
そして天使たちは新入りの霊のために、最善を尽くして世話を焼く。
しかし新入りはたいがい、すぐに天使たちから逃げ去り、彼らのことを忘れてしまう。

ついで、生前での友達や知り合いだった人たちと再会する。
この段階では再会は頻繁に起きる。
夫婦の場合、愛し合う心の絆の深さが、一緒にいる時間に正比例する。
本物の愛で結ばれていなければ再会しても離れ離れになる。
生前、心の中ではお互いに反目しあっていた夫婦は、霊界で再会したとたん、喧嘩を始める。

霊が第一状態にいる期間は、数日から一年とさまざま。
それは、『それぞれの霊自身の内的な心と外的な心がしっくり行っているか否か』次第である。
霊の世界でも、偽善者を暴くには時間がかかるようだ。

しかし第二状態に入るまでには、正体がわかるようになる。
第二状態とは、本当の自己になるとともに、その通りの姿を見せられるような状態だからだ。

心の曲がった者がどんなに外的な道徳を見せびらかせていても、彼らがどうしようもなく地獄に心ひかれていくまでには、そうした外面的なものは彼らの下を去ってゆく。
”見せびらかし(見栄や体裁)”が第二の天性にまでなっている場合でもだ。

『なぜなら、ここではあることを考えたり言ったりし、行いは別のことをするといった、分裂した心を持つことは許されていないからだ』スウェーデンボルグの記述

"天国" の "より内的な" 霊がひとたびスウェーデンボルグの肉体に働きかけてくると、4つの現象が起きることに気がついた。
一つは左のこめかみ、二つ目は左右の肺、次に心臓、最後に漠然とだが腰に何かが起きるのであった。

しかし、霊がこのように堕ちていく前には、たくさんの刑罰が彼を待っている。
邪悪な霊の多くは道徳的な体裁のかけらにしがみつきたがっているので、彼らからそれを払い落とさせるには強力な力がいるからだ。

『すべても悪は、それ自身の刑罰を自ら持っている。 悪と刑罰は分かちがたく、結びついているものだ』

第一状態では善悪いずれの霊も、善意に無関心な霊もまだみな一緒にいる。
ただ、もっと進化した霊だけが、さまざまな道徳的仮面を見破って、本質を見抜ける。

しかし第二状態になると内的な心が暴露され、どの霊にもそれが見えるようになる。
霊は顔つきもその性格に応じて変わってくるので、顔つきによってさえ、内的な心の状態がわかるようになる。

凶悪な霊、つまり地獄の霊の予備軍は、スウェーデンボルグが "下の地獄" と呼んだ精霊界の中でうごめいている。
そして第二状態にいるある霊が、"自分の汚い心によって汚いことをする" と、彼は "『主』の保護のすべてをうしない"、そこで地獄的な霊たちが彼に襲いかかり、『彼』に、お前は本当の物質的肉体をもっていると信じ込ませるために誘惑する。 
それから彼らは、『彼(新参者の霊)』の体を無茶苦茶に切り刻んだり、肉体の一部を損傷させる。

よき霊、あるいは色々な普通の人間的要素が混じりあった者も、この第二の状態では難題にぶつかる。
それについてスウェーデンボルグは、これは彼らが両親から受け継いだ心の悪さゆえにした行いのせいで罰せられるのではない、と主張する。
しかしすべてが完全とまでいかない者は、"虚偽" という汚点を自分の性格の中にもっていて、これが悪霊の攻撃を招く原因になる。

悪い者はよい者のように見せかけるすべての見せかけを払い落とされ、よい者はその "虚偽" を払い落とされるとスウェーデンボルグが言っている。

良い霊は自分の中の "悪い自己" を捨て終わると、第三のステージに入っていく。
これは天国への準備段階であり、(天国で生活できるようにするための)教育の期間だと彼はいう。

自分が『いい自己を持っている』という表向きのごまかしが不可能になってしまった悪い霊には、この第三のステージはない。

『いいタイプの霊は、死んだばかりの霊よりも、より内面的に生きている。
外的天国の天使は、前の生を捨てた後に、もっと内面的な性を送る。
内的天国の天使も、前の外的天国の生をすてたあと、さらに内的な生を送る。
このことについて、外的天国の天使は、まったく理解できないが、もっと上の天国の天使なら、すべて理解することができる』

P346
"天国" は、数えきれないほどの、『無私』からできている。
"地獄" が数えきれないほどの反対のもの(※ エゴ)とできているのと同じである。

霊界には類が友を呼ぶ、偉大な法則がある。
悪しき者が自身に罰を与え、善霊が真に自らの報酬を受け取るのも、この力を通じてである。

『"天国" では、霊的な関係を持つ者はひと目見ただけでお互いのことがわかる。
地球上における親類縁者の場合と正確に同じようにである。
彼らは一度も会ったことがないのに、ごく親しい間柄のようである』

スウェーデンボルグは、霊界の、"自分のソサエティ" に入っていくと、そこにいた誰もが昔からの知り合いや友人のようだったと、あちこちで書いている。

『人間は死んだあとでたくさんの配偶者、友人、きょうだいたちを得る。
そして彼らはまるで、幼なじみみたいなのだ』

これは霊魂の類似のせいで、なので(霊界の)社会は、(※ そこで暮らす霊たちの) 心があまりにも一つになっているために、全体で、一人の人間を構成しているようだ。

P350

それぞれの社会そのものが、霊の世界のもっと大きな集団の一つの側面であり、それは人間が『霊同士の親和の法則』に従って、どうしても自分に合うところにひとりで惹かれていく、一つの状態なのである。

そしてここを通じて、彼は、天国と地獄とさえもつながれる。

死後しばらくして、故人の霊は、自分が最終的的に落ち着くソサエティ(※ 霊的コミュニティ)に入っていくことになっていて、それはちょうど、長い間会費は払っていたが出席はしなかった会員が、自分のクラブへと行くように、自然に行き着くものなのだ。

その霊が他の会員のことを好きかどうかは別として、どっちにせよ、生前していた善悪いずれかの行動によって、そこに行くべき準備をしていたということなのだ。

『なぜなら彼ら(人間)は、肉体の生にいた時のほうが、死後よりもずっと、自分の自由意思で行動するのを許されていたからである』とスウェーデンボルグ

P351
人の願望や怖れを、霊がどんなふうに誇張させているのか、その例をスウェーデンボルグは日記に書いている。

なにか、ある決まった仕方で起こってくるなどと、決めてしまうと、それがどれほど小さなことであっても要注意だと言う。
なぜなら、霊はその考えをとっかかりとしてキャッチし、それを増幅させ、間違いなくその通りになると思い込ませるように仕向け、ばかばかしいほど重大なことのように誇大化させる結果、その人の思考の自由を奪ってしまう。

そうして今でいう強迫神経症のようになると、警告している。

スウェーデンボルグは自分の経験から、自分の考えのすべては霊から伝達されてきたものであると考えた。
また、霊たちも、人間から受け取ったたくさんの思考を自分のものだと錯覚していた。

P372
『死後にも残る2つの生は、説得と欲望である』
つまり、意見(価値観などの個の概念)と情緒 といえる。

人間は、どれほどの過ちを起こした時でも、自己過信や尊大さをすてないものだと、スウェーデンボルグはたびたび嘆いていた。

P373

生前、見聞きしたこと、思ったこと、感じた事、すべての行動や体験の記憶は、死んで霊になっても残っている。

P382
天使たちと付き合うことも許され、彼らの話していることも聞こえた。
しかし自分の同輩たち、つまり普通の霊たちのところへ戻った時、そんなことは何も触れず、またそんな考えを持つことすら不可能になった。
そして、天使たちが話していることの中には、智慧がたくさん含まれていた。

霊的な(所属)領域が変わると、霊は、前の状態にいたときの言語は忘れてしまう。

上位の状態の中で聞いたり理解したことは、いつも思い出せるとは限らない。
睡眠中、さまざまな理由から私たちは肉体を離れて霊界に行くのですが、その記憶も、こうしたことから思い出せなくされているのかもしれません)
これに対しては、スウェーデンボルグほど明晰でなく心を奪われやすい、多くの神秘家たちも同じことを証言している。

天使は、視覚的な表象や、抑揚をつけた数語を使うだけで、百も千ものことを表現できる能力がある。
内的な天使になると、霊が発したごく数語の声音だけで、相手の全生涯がわかってしまう。

『溜息ひとつで天使はその人のすべてを知ってしまう。 なぜなら、溜息はハートの考えだから、である』とスウェーデンボルグ

P383

生前、自惚れや自慢が強かった人(霊)のオーラは、焦げたパンのようなにおいがする。
快楽にふけり、何ものも信じられず、誰も愛したことがない人のオーラは、糞便のようなにおいであり、不義密通者(不倫とか)のオーラはそれよりもっとひどくて耐えられないにおいになる。

また、復讐心があったり凶暴だった人間のオーラは死体のにおいが、貪欲だったり罪もない人を虐待した人のオーラはミミズのようなにおいがした。
容姿は美しかったが心が曲がっていた女性の霊は、死人のようなにおいがした。
けれども彼ら自身はその匂いに気付かない。

地獄の霊たちは悪臭を好み、果物、焼きたてのパン、心地良いワインの香り、花、乳香などの天国の香りには耐えられない。
こうした香りを嗅ぐと、本当に病気になってしまう。

P392
霊の世界では、偽善者がどれほど嫌われるかを、スウェーデンボルグは繰り返し述べている。

自分自身の功を誇ることは、たとえそれは真に誇っても良いことであっても、危険の始まりになる。
エゴの暗い結び目の始まりである。

行動の動機が、その行いの本当の判断基準である。
見せかけは同じ行為でも、どの動機が違えば、みな違うものである。
『なぜならば、行動とは、意思だからである』

P398
霊的な喜びとはどんなものか?を理解しない人に、天国的な喜びは理解されようがない、という。
また、喜びは名誉や利得や官能的快楽の中にあるものだと考えている者も、これらと関係のない、筆舌に尽くせない喜びがわからない。

二つを比較すると、一方は暗くて悪臭のある霧、もう片方は澄みきっていて静かなそよ風、程の違いがある。

P399
天使的な愛とは、自分以上に隣人を愛する愛であり、それは真の結婚の愛、母親の愛、本当の友情の中に見られる何かだと、スウェーデンボルグはいう。

P400
天国での美は、霊的な発達に相応している。
発達の遅れている者にには、どこか、鈍くてくすんだものがある。

愛は、霊の顔を輝かせたり、顔だちや姿形を作ったりして、見るものを驚かせる。
生前は醜い姿をしていた者でも、天国では素晴らしく美しい霊に変わる理由はここにある。

P401
地獄を支配しているのは、利己愛であると彼はいう。

天国ではすべての霊が、他者に奉仕したがるのに対して、地獄では他者を支配したがるので、すぐにトラブルが起きる。

『地獄にいる霊たちは、他者への侮辱を形に表した姿をしている。

一般には、彼らは他者への軽蔑、侮辱、憎しみ、復讐心が姿になったようなものである。
自分に敬意を示さない者には脅しにかかり、敬意を表されるとその時はうれしそうにするのが彼らだ。

どの霊も、地獄ではそれぞれの霊の心を支配している欲情を表した姿をしている』

P406
霊界の "天国" では、低い天使の衣服はさまざまな明るい色をしている。
その上の階層の天使の衣服は、輝くような白さで、最奥で天上的な天国の天使はまったく裸でいる。
それが彼らの心の無垢に相応しているからである。

P409
『物質的な世界は、霊的な世界をシンボリックに(象徴的に、比ゆ的に) 示したものに過ぎない』

P410
パンは、霊界ではみんなの食べ物、つまり霊的な善を表す。
おとなしい動物は、静かな愛着
猛々しい動物は、激しい情熱
光は真実
熱は愛

とそれぞれ相応すると、スウェーデンボルグ独自の解釈とルール。

P412

人の腎臓は、虚偽と真実を識別する臓器である

P414
鼻の粘膜は、外のものと中のものとのコミュニケーションを妨げる物事に相当する。
分裂を引き起こし、自分の支配力を強めるために、仲間割れを起こすものの表象

大腸は、優しい気持ちに欠けていて、自分に逆らうものは老若男女誰であっても、良心の苦痛など感じることなくひどいことができる。
霊界の霊たちも、彼らは野獣よりも獰猛だといった。

P425

魅力的な霊は、誰に対しても礼儀正しく接する
また霊界では音楽が大きな力を持つ

P451

霊界での「結婚」は、魂の結びつきのためのものである。
霊性や精神性が高いが独身で、結婚を望んでいる人の場合、この世を終えて天国に行ってから、幸せな結婚が準備されている。

P461
スウェーデンボルグの友人ロブサームは、ある時、誰でもスウェーデンボルグと同程度の霊的水準に達することができるものかどうか?と尋ねた。
するとスウェーデンボルグは、「そんなことは試さないほうがいい。気が狂ってしまうだろう」と警告した。

またロブサームは、死刑執行を受ける人はその瞬間、どんなふうに感じるのか?を尋ねた。
すると、スウェーデンボルグはこう説明した。

そういう人間は断頭台に頭を乗せた時には、もう自分の外にほぼ出てしまっているので、霊の世界に入ったときには、死刑が執行されたなんてことはわからなくなっている。
しかしそれに対する恐怖は残っていて、そこからは逃れようとする。

さらに、善霊たちがやってきて、彼が死んだことをわからせようとする。
もし彼が生前、故意に悪業を重ねていたら、彼はすぐさま善霊から離れようとし、自ら地獄の、自分と似た霊たちのもとへと走る。
しかし、意図的にその罪を犯したのではなかったら、後悔することも教育を受けることもでき、やがては幸福な霊になる。

そしてこの後、スウェーデンボルグの最期の様子とその後についても触れられています。