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スピリチュアリズムのBlog

スピリチュアリズムの日々の実践を心がけておりますスピリチュアリスト兼カウンセラーのブログです。生まれてこのかた無宗教です。またいかなる思想的団体とも関わりがありません。単独で活動することを信条としています

スピリチュアリズムは宗教ではありません



こんにちは。

欧米で Spiritualism という言葉は主に、「心霊主義=霊は実在する。ということは霊界はある=なので生まれ変わりはある という霊実在主義。輪廻転生に基づいた生き方や哲学」を意味していると個人的には受け止めています。

宗教とは別で、けれどそもそもこの地球への輪廻転生の意味や目的(スピリチュアリズム)から、「どう生きればその目的が叶うか?」という考え方や生き方のお手本やコツをまとめて(バイブル)、それを教えようとしたのが、宗教の始まりのようです(霊訓他の情報から)。


今は多くのかたがご存じかと思いますが、そもそも経典や聖書は、その宗派の開祖が作ったものではなく、開祖の死後に弟子たちが代々口伝えで伝えたり、まとめたもの。
つまり、いろんな人たちの解釈や考え方、意図が加わってしまっているもの、なんですね。
しかも、ありえない、非現実的な迷信や妄想(都市伝説)による神ががったエピソードが満載の。

そのため、どこまでが "本物なのか?(事実なのか)" は不明です。
けれど信者のみなさんはそれを"バイブル"(神聖なる書物、神そのもの)として、頭から信じて疑いもせず、崇め奉っているわけです。

特にキリスト教については、中世の時代に何が起きたか。
歴史を振り返れば、欲に目がくらんだ宗教者たちが自分たちに都合よく解釈した教えを広めて、権力を握り、戦争を起こし、「神と正義」の名のもとに、たくさんの血を流させました。
あるいは布教と称してはよその土地に出かけ、現地の人たちを暴力と恐怖で改宗させ、現地の農作物や資源でお金儲けをしていました。
現代でいうとISのイメージです。

また、既存の大きな宗教団体が絢爛豪華な教会や礼拝堂を持ち、その教祖がセレブ並みの生活を送っていますが、一方で末端の信者さんたちはというと、召使いのようにいわれるままにその組織や教祖のために身も財産もささげている様子に、周りから人がどんどん離れていって、孤立してゆきます。
そうして、世間と適合しなくなって居場所を失った信者さんはますますその宗教団体にのめりこむという悪循環も起きます。
私たちはこうした「よくあるパターンと話」を見聞きしているせいで、なので「宗教」とかかわることを嫌がります。

洗脳しているほうもされているほうも、自分たちが過ちを犯しているということに気づかない、自分たちが正しくて世間がおかしい、と思い込んでしまっていることが不幸の始まり、ですよね(溜息。


****

話を戻します。

欧米のスピリチュアリズムは、霊媒師(チャネラー)が仲介役になって死者たちと人間が会話や質疑応答をし、それらの膨大な記録から霊界に関する情報を集め、信ぴょう性を検証し、その "仮説" がもとになってできています("仮説" としたのは死んで霊界に行って生き返った人は一人もいないので、確かめようがないからです)

いずれにしましても、霊が存在することは、私は間違いないと思っています。
なぜなら、子供のころから、30代後半まで、何度も「霊」を目撃したり接触したり、何度も心霊現象を体験してきたので、疑いようがないからです。
(けれど、逆にいうと、こういう経験がないかたには信じにくい話だろうと思います)


そして、その更新記録をまとめた本で、世界の三大霊訓と称されているのが、

シルバーバーチの霊訓

モーゼスの霊訓

カルデックの霊の書

です。


そしてこれらの霊訓の中で、教えを説いている、高級霊(霊性が高い霊)たち全員が、時に激しい口調で、宗教団体や宗教者を批判しています。

人の考え方をコントロールし、金銭や労働を求め、自分たちにとって都合のよい教えを作っては説きながら、贅沢や楽をして暮らす。
しかも、宗派を超えた、社会的弱者の救済やサポート(利他愛の実践)もしていない。

なんと傲慢でうぬぼれが強いのだろう。
なぜ自分(人格、霊性)を過信する?
神に近い人間ほど謙虚で質素であるべきなのに(人に譲る/与えることが優先されている人は自然と、控えめで地味で質素になってゆきます。 謙虚で質素にしていれば神に近くなるという考え方はむしろ不自然で逆、遠ざかります)

イエスは何をした?
生前、どんな生き方をしていた? どんな死に方をした?
宗教者を語るならどうしてイエスに倣おうとしない?
神は、豪華絢爛な教会も、金も宝石も、ましてや自分を称賛する言葉さえ、ほしがらないのに。


シルバーバーチは、真の宗教は「無心で(損得勘定を持たずに、見返りなしに。快く)与えることだ。それが愛」と繰り返し言っています。
宗教や人種、地位、文化や思想の違いを超えて、見知らぬ人や困っている人には親切に、温かい心で接しましょう、独り占めしないで分け合いましょう、と。
世の中からいじめや暴力、貧困をなくすように活動するのが本来の宗教であって、信者の数を増やすことや、自分たちの信仰を認めない人たちを差別や区別することでもないんですね。


またシルバーバーチはこんなことも言ってました(と記憶しています)

人が大勢集まるとどうしても摩擦やもめ事が起きる。
まとまらない。
なので、ルール(教義、教則)を作らなくてはいけなくなる。
ところがそれを、霊的に未熟な人間たちが作るせいで、より俗物的でお粗末なものになってしまう。
しかも「強い」人がどんどん仕切り始めて先導してゆき、そうして生まれたリーダーや集団の暴走がやがて始まる。
意思や立場の弱い人たちは彼らの言いなりになり、時に頼り・すがって持ちつ持たれつの運命共同体になってゆき、スピリチュアリズムの中でいわれている転生してきた目的の一つ、「自分で考え自分で決めて自ら行動を起こす学び」 をしなくなってしまう(できなくなってしまう)。

一人でも生きていける強さと知恵を身に着けること。
これができる人ほど、隣人にも優しく、寛容になれるから。


なのでそもそも、スピリチュアルな学びや活動は、組織的にするのではなく、一人でしたほうがいい。
なるべくほかの人や世間に感化や影響をされずに、自分なりの考えや意思で、個々に合ったやりかたで実践していくべきもの、なんです。


繰り返しになりますが。
開祖たちはバイブルを残していません。
バイブルを作ったのは、開祖の没後100年、200年後に生まれた、ごくありふれた人たちです。
開祖に直接会ったこともないし、また聞きのまた聞きや、都市伝説を鵜呑みにしてるような人たちが作ったものです。


霊訓などの霊界通信によれば、開祖たちは立派なかたたちだったそうです。
けれど問題はお弟子さんたち。
開祖がいなくなったとたん、タガが外れ、開祖の威光を使って彼らの言葉や教えを自分たちに都合よく作り替え、経典を作って広め、自分たちの私利私欲のために開祖を利用したんです。

私はこの点でも、同じ開祖の教えを信仰する人たちが集まって集団化し、組織を作ることに大きな疑問を感じずにはいられません。

信仰を極めたいなら、一人でだってできるのに。
一人でやればいいのに、なぜ頼るの? 人生も財産もすべてをかけて盲目的にハマってしまうの?
仕事や結婚など、自分の未来や人生にかかわる選択を、安易に他人にゆだねてしまうの?

輪廻転生をする意味や仕組みを思い起こせば理不尽で矛盾だらけなのに気づかないと。
ましてや、まだ分別がつかない子供まで入信させて、矛盾だらけの教えを植えつけるなんて。
その子を幸せにしてあげたいなら、本人独自の創造性や力を引き出してあげるべきで、他人の考えを、しかも生き方に関する浮世離れし偏った知識を植えつけて、子供たちの成長や学びの邪魔したり制限してはいけないと思います。

真の宗教者なら、「私にべったり頼るのはおやめなさい。自分で考えて決めなさい」と、あえて突き放すんじゃないかなと思います。
奮闘する様子をそばで温かく見守りながら。


****


もちろん中には、その信仰や組織とのつながりが、生きる希望や安心につながっている人もいて、なのでその人から奪うことは、その人を否定したり、命を奪うことにもなりかねないので、一概に宗教団体をなくすべきとは言いません。


中には、素晴らしい教義を実践されている宗教もあるでしょう。
ただ、どれほど魅力的で素晴らしくても、宗教は、一人ひとり違うはず、と私は思っています。
自分自身が『自分教』の教祖であり信者であって、しかも信者は自分だけ、というのが自然で健康的なんじゃないかなと思います。

スピリチュアリズムでは、宗教は利他愛の実践であるべきといわれてて、であればなおさら、人のことはおかまいなしに自分の都合や欲求を優先させたり、理由もなく自分の気分や好みだけで区別差別するとか、約束を破るとか、安心じゃなくて不安や怒りを与えるとか。

それを許す宗教なんて宗教じゃない。

もしも、「いや、うちの神様はそれでいいとおっしゃってる」というのであれば、その神さまは邪神(神様のフリをした低級霊や地縛霊の仕業)であることは間違いないだろうと、それはスピリチュアリズムの知識や霊訓から、私は断言できます。


信頼する相手、付き合う相手は、選びたいものです。
その人は私の成長を手伝ってくれるような人か?
それとも、人としてダメにしてしまう人? 人生を狂わせる人?

ということで。
スピリチュアリズムと、宗教の違い、わずかでも伝わると良いのですが・・・



***追記***


死後の様子も含め、輪廻転生の知識を曲解し、それを教義に利用している、大手の宗教団体があります。

そこは教祖がたくさん本を出版されていて(単行本で1500円前後とか、そこそこのお値段のようです)、信者さんはその本を買って配ることが、自分の徳を高める。
つまり「運を上げる、よくする。今生を生きやすくする」という風に勧めていると聞いたことがあります。

実際、こんな経験をしています。

父が亡くなって、市役所に電話して、車いすを寄付することにしました。
すぐに引き取り手が決まり、取りに来てくださることに。

が、「ファミレスで夕方までバイトをしています。 お店が終わってから取りにゆきますので夜になりますがそれでも良いですか?」と電話連絡がありました。

うちはかまいませんといって待っていたら、その女性はかなり古そうな軽自動車に乗っていらっしゃいました。
塗装も古びています。
後ろの席を見ると、中学生くらいの、脳性麻痺のような障害をおもちのお子さんが乗っていました。
お子さんを途中で乗せ、それからうちに来られたそう。
そして車いすはそのお子さんのために欲しかったとのことでした。

こうした様子から、裕福で楽な生活をされているとは思えませんでした。


とにかく、私も手伝って、車のトランクにその車いすを入れてあげました。
そしてお別れの挨拶をし立ち去ろうとしたら、「ちょっと待ってください」とそのお母さんに呼び止められました。

振り返ると、厚みが3センチほどの真新しい単行本を4冊抱えてらして、「これを読んでみてください、素晴らしい本なんですよ」と私に渡そうとしました。

表紙に印刷されていた著者の名前を見て、「あぁあの団体の本だ」と気づき、「いえ、うちは誰も本を読まないので」とお返ししようとしました。

けれどそれでは困る、タダでは車いすをもらえないの一点張り。
押し問答みたいになり、仕方なく、受け取ることにしました。
お母さんはほっとした顔で、車に乗り込み、帰って行かれました。

本の値段は1700円くらいだったと思います。

4冊で、6800円 です。
たぶんあのお母さんの一日のバイト代よりも高いと思います。
割引があるのかもしれませんが。


とにかく私は、くだんの教祖さんにこの現場を見せたい!と思いました。
あなたのしていることは、むしろ他人を巻き込んで苦悩を増やしてるんだよと、伝えたかったです。

身銭を切って自分が書いた本を買って配ると、いいことがある・幸せになれると、刷り込んでるのでは?と思えました。
でも同時にそれは、自分ばかりがいい思いをして、けれどもしも相手がお礼を受け取ってもらえなかったら、自分にバチが当たって不幸になるんじゃないか?という怖さも招くと思うんですね。

私が「いりません。困ります」と何度も断った時に見せた、お母さんの必死な表情や態度は、おそらくそういう理由だったんじゃないかなと推測できます。


もう15年も前の出来事ですが、今でも忘れられません。