スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究記

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

『死にたいと思っている人へ』





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こちらの投稿を読ませていただきました。(みやざわさん、勝手にリンクしてすみません)


どのような方法で自ら命を絶つにしても、萩原朔太郎さんのように、自分が死んでいく様子・感覚を、視覚や体感を使って鮮明にイメージしてみる、とか。
私は、飛び降り自殺をしているイメージなど、恐ろしくて出来ません。
その恐怖に比べれば、自分が解決しなければならない目前のことと闘ったほうがよほどマシ!!です。


それから記事の後半には、鉄道自殺を試みるも、一命をとりとめたかたのケースも取り上げてらっしゃいました。
事故直後の様子、その後のこと。
これも考えさせられました。


どんなに死にたいと思ったとしても、命が途絶える直前に生きたいと思わないと自信を持って言える人は、はたしているのでしょうか。

私はそんな人はいないように思うのです。

(※ 記事からお借りしました)





本当にそうですね? 私もそう思います。



時々、口には出さなくてもあまりに苦しさに自死を頭によぎらせたという経験をしたことがない人って、どれくらいいるんだろう?って考えることがあります。
私も何度もありました。


そして、苦しくてしかたがないけれどなんとか死なずにがんばってみたら、そう長くもかからないうちに(早ければ数日とか)、状況に変化が起きて、それからしばらくするとまた、心からおかしくて笑えたりしたいことや愉しみも見つかって今度は絶対に死にたくなくなる、生きたくなる。
「生きていて良かった!」と思う。
人生って、そういう変化の繰り返しだということを知っています。


また、苦しくてしかたない時ほど、些細な世間話であっても相手は誰でもいいから、とにかく自分から誰かに声をかけて話をしてみる。
でも案外、それで無視されたり冷たくされたりしない。(地方だからかもしれませんが)
しかもそれがきっかけになって好転していく、ということも知ってます。

自分一人の力で乗り越えられることにも限界があって、それは他の、みんなも一緒。
変わりばんこに、励ましたり支えあって、生きていくのがこの世の基本の暮らしかただということも。



だから、衝動的に命を絶とうとするときの恐怖と比べればなおさら、天寿を迎えるまで長く生きていたほうがいいって、私は思うんです。


「探せば出口って案外すぐ近くにあるもの」と、度重なる失敗や挫折から学べた私は、今はそう信じています。


(別窓で開きます)