スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究記

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

心が安らぐ方法


こちらのご本からお借りします。
(すぐに試せて効果もある実用的なアドバイスが満載で、個人的にはお気に入り&おススメの一冊です)


これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活





人生は考え方次第


最初に確認したいのは、「何事も考え方が大事である」ということです。

一般に、人はモノゴトに「つい反応してしまっている」のであって、「正しい考え方」に立って生きているわけではありません。
たとえば、仕事や人間関係で「理不尽な」思いをすることがあります。
「なんでこうなるのか?」と反応してしまい、疑問、葛藤、納得いかない思いが沸き起こる ーー こういう体験は、誰でもしているはずです。

もしこのとき「自分の考え方」しか持っていなければ、あらゆることに自分流の "こだわり" で反応してしまいます。


(略)


こうした自己流の "こだわり" はさらに尾を引きます。
心はざわつき続け、「そういえばあのときも・・・」と記憶を検索したり、「そんなことを言うなら、あの件 (あの人) はどうなんだ?」と責任転嫁や反撃が始まったりと、「厶ダな反応」が続きます。
こうした反応が数珠繋ぎになって、頭はイライラ、モヤモヤ状態に突入していきます。


こうしたよくある心境は、「ただ反応している状態」です。
人はみな、日々、反応しまくりです。
でも、もしブッタにならって、「この状況ならこう対応すればいい」という考え方の手順が最初にはっきりしていれば、自分の "こだわり" だけで反応することなく、正しい道筋でモノゴトをとらえられる ようになります。
「考え方を知っておく」ことは、それくらい大事なことなのです。


では具体的に、どんな「考え方」から始めるか。
最初はこれです。


「どんなときも、方法がある」 (だから何とかなる) 


何が起きてもそう考えられる (発想できる) ようになること。 それを最初の目的や目標にすえましょう。


ここで 「発想する」 とは "他のよけいな思いが湧くことなく、その考え方が最初から自然に湧いてくること" をいいます 。
宗教が「信じる」ことを大事にするなら、この本で紹介する 「合理的なブッダの考え方」においては、「発想する」 (自然にそう考えられる) ことを大事にします。


最初の発想 (思いつき) が考え方を決めます。
考え方が人生を作ります。
となると、最初に何を思いつくか、は決定的に大事になります。
そこで発想を変える練習をするのです。


それが、「方法はある (なんとかできる) 」という言葉を繰り返すことーーーつらくなったら「方法はある」。
不安や迷いを感じた時も「方法はある」、と自分に言い聞かせるのです 。


つい否定的な思いが出てきたら、「方法はある」 と繰り返してください。
つらくなったら「方法はある」。
憤慨したときも「方法はある」。
不安や迷いを感じたときも「方法はある」。


まずは言葉で繰り返すこと。
そうして徐々に「考え方」を作りかえていくのです。


(略)


ここでお伝えしておきたいのは、ひとが悩みを解消し、快適に暮らす「方法」は、私たちが想像する以上に「豊富にある」ということです。


****



ここまで。



「方法はある」「なんとかなる」

草薙さんが勧めてらっしゃることは、個人的には納得できます。
と申しますのも、窮地に立たされた時、「もうダメだと決めつけるのはまだ早い。何か方法があるかもしれない」とダメダメモードの気分に喝を入れ(笑)、頭を切り替え、「電話をかける」というごく些細な行動を起こしたことで本当に何とかなった経験があるんですね。


私は近くには頼れる身寄りも友達もいないシングルなのですが、去年の夏にケガをし、自力ではまったく動けなくなりました (初期の頃は、できるだけゆっくりと、仰向けに床を這って動いてました)
その状態で一人で自宅で養生していたのですが、病院に行きたくても、共同住宅で階段でしかも上層階だったのと、わずかでも体を動かすと骨盤がズレてしまってたのでどうにもならず。
(腰の骨がユルユルふわふわになってしまってたんです。しかもズレると叫び声をあげてしまうほどの激痛)
タクシーでの移動も考えましたが、横向きにしか寝ていられないし、ブレーキなどの衝撃や振動にとても耐えられそうになかったのでこれも不可能。


それでも病院他あちこちに問い合わせをしました。
まず病院に電話してみたのですが、「(自力で行けたにしても)こちらでは付き添いのかたがいなければ困る」と言われました(そうでなければ看護師さんが私につきっきりになってしまいますから)


それにそもそも、歩きや階段の上り下りができません。
そこで、「そういう状態で病院に行きたいのだけれど、どうしたらいいですか? 何か方法はありませんか?」と保健所や役所に問い合わせました。
保健所の保健師さんには、「うちではわからないので市役所の市民相談課に電話してください」と告げられました。
そこで今度は役所に電話をかけたところ、「(命に係わる病気ではないので)救急車は呼ばないで」といわれました。またその時同時に「こちらにいわれても何もできない」と言われ、しかたなく電話を切りました。


食べ物や必要なものは、ネットスーパーのおかげでなんとかなりました。
けれど、治療だけは、病院にゆかなければどうにもなりません。
でも、一番頼れそうだった場所に相談したのに「わからない。何もできない」と言われ、この時ばかりは絶望に打ちのめされたような思いがしました。


で、(生きることは)もういいやって、「死」を覚悟しました(笑。
けれど、そうはいってもしばらくして気持ちが落ち着くと、あまりに突然だったこともあり、「こんな中途半端なままでは人生を終わらせたくない」と思い直しました。
自分から見てもこんな惨めで憐れな最期のまま死んでいくのが許せなくて。
あちらに行って、他の霊たちと一部始終を「鑑賞した」時、私は恥ずかしくていたたまれない!!と思えました。
それにまだ、全力を尽くしてダメだったわけでもありませんでしたし。


そうこうするうち、ふと、介護タクシーのことが頭に浮かびました。
以前に一度お世話になっていたかたでした。
そこで電話をして事情を説明したら、「大丈夫です。病院にお連れできます」と言ってくださいました。
実は当日まで私はまったく知らなかったのですが、介護タクシーの車いすの背もたれは水平に倒すことができたんです。
しかもベルトで固定もでき、なので救急車のストレッチャー代わりになるんですね (市役所の方も保健師さんもご存知ないようでした)
さらに幸運だったのは、運転手さんは少し前まで救急隊員をされていたかたで、身体に痛みや負担がないよう、細かなところまで気配りしてくださいました(他の介護タクシーのドライバーさんは元普通のタクシーの運転手さんとかで、ここまではできないそうです)


この時の安堵感や嬉しさといったら。
「良かった、助かった」
あの時のことは、生涯忘れられないと思います。


おかげで無事病院にゆけ、検査や治療も受けられ、そこから次第に回復してゆきました。
まだできないこともあり全快とはいえないもの、それでもまた自力で暮せるほどにはなりました。


って、そんな、深刻にとらえたり騒ぐほど大したことでもなかったかもしれませんが(苦笑。

ただ、ちょうどケガの前にとても悩んでいたことがありまして心がすっかり弱っていた時でしたので、度重なる辛さに耐えきれなくて、「このまま生きていて何が楽しいものか? これならいっそこのまま餓死して死んでしまおう」、と思ってしまったんですね。
自営ですので自分が働かないと収入がありませんし、とはいえこんな体になってしまっていつ復帰できるのか? まともに働けるのか?と悲観しました。
自死がどういうことになるかはわかっていても、こんな人生にしてしまったふがいない自分が情けないし惨めで、こんなにも生きることがつらくて未来も真っ暗なら、いっそここで人生を終わらせたほうがマシだと思いました。


とにもかくにも。

まだこうして生きてます(笑
で、そのような経験を経て、二度と、自分から命を絶とうとは「思えなく」なりました。


今はネットで検索すれば必要な知識や情報(なので手段や解決策。そのヒント)は、手軽に手に入れられます。
介護タクシーのことは除いて、あんな状態で一人でいても暮らせたのは、ネット(と配達してくださったみなさん)のおかげでした。
とはいえそれも貯えがなかったら(それでもギリギリでしたけど)できなかったこととかもしれません。


なんて不運探しのタラレバをいってたらキリがなく、現実には私はまだ生きていて、少しずつでも仕事ができるようになって、「もっと良くなったらこんなことをしてみたい」というささやかな夢や目的もいくつももてています。


こんな私がいうのもおこがましいですが、ただ、おそらくみなさんにはこんな時すぐ身近で、病院に付き添ってくれたり、買い物や用事を頼めたり、励ましの声をかけてくれたり、どうすればいいのか一緒に方法を考えたり探してくださるご家族やご親戚・お友達がいらっしゃるのではないでしょうか。
また仕事(生計の不安)も休んでもお給料がもらえるでしょうし、最悪失職しても失業手当がもらえたりバイトだってできるでしょうし(少ない額でも毎月一定の収入があることはどれほど心強いことか。そしてそこから少しずつステップアップしてゆかれればいい!と思います)、元気になればまたその職場で働けるのでは?
実家とかご自分や知り合いの家など、いざとなれば雨風をしのいで休める身を寄せられる場所がおありなのでは?(うちは賃貸ですし実家もありません)


上だけでなく下にも、みなさんよりもうわてがいるものなんですよー(笑
でもそんな私でも、なんとか人生最大のピンチを脱出し、こうしてのほほんとパソコンをタイプしながら暮らしています。


長くなりましたが、その時の気分や否定的な思考、感情に負けさえしなければ、「方法はある」「なんとかなる」。

草薙さんもおっしゃっていますが、自分一人でできることは限られていて、三人寄れば文殊の知恵。
悩んでる時ほど、ネットでも周りの人にでも、自分から調べてみるなり声をかけるといったアクションを。
困っていると告げると案外みなさん喜んで(純粋な優しさから)手を差しのべてくださるものですよ。
(人助けは徳になりますし)

私は今回つくづく、「思っていたほど、冷たい人ばかりじゃなかった。さほどこの世は地獄でもない」と気づかされました (その後も通院を手伝ってくれた介護タクシーの運転手さん、担当医の先生、リハビリの先生たち、看護師さん、配達のたびに声をかけてくれた宅配のみなさん、自分自身も闘病中だった友だち、励ましやアドバイスのメールをくださったお客さまやブログ読者の方々。感謝の気持ちしかありません)


最悪もし死んでしまっても(スピリチュアリズム的には死にませんが)、不慮の死なら、お金や健康の不安も孤立もないあの世は天国ですからね。


大丈夫、どっちに転んでも、なんとかなります。


(別窓で開きます)