スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究日誌

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

人を許せなくていい。それに苦しまなくてもいい。摂理は完璧だから



どのような理由や目的でそういう判断や行為をするのか?

どれほど自分の考えや行為・立場を正当化しようとしても、摂理=神 の判断は正確で、少しのあいまいさもありません。

また、本性(本心)は、霊の目からは決してごまかせません。
色になってオーラに現れ、誰の目から見ても明らかになってしまうのです。


シルバーバーチも繰り返し語っていますが、来世では、動機(自分の根拠や理由)が(結果の)正誤を決めます。

中でも最も悪い(まずい)のは、「それをしたら相手を苦しめたり困らせる」「とても嫌がっている」とわかっていながら、自分の我や欲に負けて行った行為です。


シルバーバーチに限らず、世に出回るたくさんの霊界通信を読んでみますと、肉体を失ったのち、生前の自分のよこしまな欲に負けて行った行為に対する罪の重さや償いに苦しむ霊たちの話をたびたび見かけます。


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「どうしても許すことができない人や行為」というのはどなたも覚えがあることと思います。

しかもその人たちを許せない・彼らの行為を水に流せない自分を「未熟だ」、「自分は心が狭い」と責め、二重に苦悩する人たちもいます。
恥ずかしながら私はそうです。 10年以上、悩んでいました。


そうこうするうち先日シルバーバーチの言葉を見かけ、そこに「自分なりに腑に落ちる」答えを見つけ、ようやくこの件から解放されつつあります。
「もう限界」という心(霊)の声が届いたのかもしれません。


怒りや不満をもつこと、拒絶はいけない=霊格が未熟な現れ、と思われがちです。
けれど、いつどんな場合でも、100%、このことが当てはまるのではないんですね。

倫理や正義に反すること、自分が不当な扱いを受けたのであれば、それに対して声を上げ抵抗すること自体は必ずしも誤りではないのです。
なぜなら、最期の最期に自分(生命)を守れるのは自分しかおらず、自分=霊の転生の目的を成就するために欠かせない大切な道具=肉体が最大限パフォーマンスできるよう、私たちは自分の体を守る責任があるからです。
身体がなければ、カルマの解消や学びはできませんし、続けられません。
体は霊性を高めるために欠かせない、そしてスペアもない、この世でたった一つの大切な道具なんですね。


理不尽かつ不当に(利己的で強引、一方的に)、されるがまま、相手の私利私欲を満たすために自分が利用され続けることを、疑問も持たずに素直に受け入れてはいけないのです。
同時に、そうされることを許してしまうということは、利用している人の罪も深める手伝いをしていることにもなりえます。
我欲の暴走のブレーキをかけてあげなければならないし、同時にそれは相手への思いやりでもあると思います。
(勝てない相手と戦うのは、エネルギーや時間の無駄ですよね。 そういう相手は自分から離れたり、去りましょう。 ほかに「今」やっておくべきことは山ほどありますし。 自分の霊性や将来のためにも)


それからシルバーバーチほど霊格の高い人でも、怒りを覚えるそう。


相手や内容によっては、嫌なものは嫌と、嫌ったり怒って逆らったり拒絶するのは私たちにとっては自然なことと、言います。

(怒りを覚えることと、憎んだり恨むこと自体はまた別物です。
でも怒りの感情を制圧できなければ、それが憎しみや恨みという、念や態度、行為に変わってしまいます。
そしてこれがマズい。
憎しみや恨みの念は抱えてはいけないのです。
なぜならそのせいで、邪霊や未浄化霊を自分に引き寄せやすくなるんです。
その結果健康を害したり、仕事・人間関係・お金に困るようになります。
つまり不運や不幸に見舞われてしまう可能性が高まります。
私たちは無意識のうちにこのことを知っていて、なので自動的に「この怒りや不満を抑えなければ」と努力しようとするのでしょう。
ところが実際にはそう簡単に制御できるものでもなく、すると焦りや不安、葛藤や苦悩が生まれ、そうしてますます辛さが増していってしまうのかもしれません)


また、相手に対して、こちらから何らかの罰を与えたり一矢報いようとしなくても(行動を起こさなくても思いの上だけであっても)、遅かれ早かれその相手は今後間違いなく、私たちが経験した苦悩の数倍にも増した終わりのない苦痛や苦悩をわが物とし、何十年何百年と向き合わなくてはならない時がやってきます。
肉体の死後は、地縛霊になったり誰かに憑りついたり。
腐臭が漂い、真っ暗闇で、お互いに苦しめあったり共食いをする地獄のような場所で暮らさないといけないのです。
そういう環境に置かれ、反省するまで、自分が地上時代にまいた種を刈り取ることになるんですね。
しかも地上と違って霊界では、言い訳やごまかしが通用しません。


そうした霊たちや様子を実際に目の当たりにしてきたシルバーバーチ。
なので、自分を困らせたり苦しめた人たちを、恨んだり憎むどころか、むしろ気の毒にさえ思う という境地に至れるのだろうと思いました。


そして私はといえば、当然ながら、まだ人間ですので、自分の目ではそのような光景や場面を見たことはありません。
がこれまでさまざまな本に書かれていた数十以上に及ぶそのようなケースや証言を繰り返し目にしまして、そうした知識はあった上に(でも生かしきれていませんでした)、先日久しぶりにシルバーバーチの霊訓が読みたくなって開いた時、ちょうど、これからご紹介する部分が突然目の前に現れ。
(このブログにもそうしたケースを取り上げた投稿がいくつかあります。リンクが貼れなくてすみません)


ずっと探し求めてた、まるで迷路にハマってしまったような葛藤や悩みへの答えを与えてもらえたと、言葉にいい表れせないような感激で、胸がいっぱいになりました。
さらには、10年以上続いた苦悩や葛藤がこのタイミングで終わることを間接的に告げられたような、私にとっては必然の出来事と直感しました(霊訓シリーズは10冊以上の蔵書があり、その中から直感で選んだ本を開いたら、この箇所だったのです)


それからしばらく、これまでのことを振り返って考えているうち、この件に始終自分の関心を向け続けてきたせいで、いつのまにか自分の精神や霊格がすっかり彼らと同等になってしまっており、しかも肝心の自分自身の霊性な学びや行動がすっかりおろそかになっていたことに気づきました。
と申しますか退化してしまっていました。


それが(そうなることを自分に許してしまったこと)、本当に悔しいし、情けない。
しかもそうであってもスピリチュアリストを自称していた自分が、ますます情けないやら恥ずかしいこと。
猛省いたしました。
そして、彼らのことは"神"の裁きにお任せし、これからはもっと自分の「本性」に目をむけ、もう一度スピリチュアリズムを学びなおして実践してゆこう(自分にも他のみなさんにも役立ててゆく)、そう決めました。

この世の過ち(修正)はこの世にいるうちに。
まだ時間があるうちに、気づくことができて良かったですし、気づかせてくれた自分の背後霊さんたちには心から感謝です。



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前置きが長くなってしまいました。
それではシルバーバーチの言葉をご紹介したいと思います。


特に、私のように、理不尽な人たちや行為に傷つき、苦しんでらっしゃるみなさんへ。
わずかでもみなさんのお悩みやお気持ちが楽になりますように。


こちらのご本からお借りしています。


シルバーバーチの霊訓〈6〉





私は誰も恨みません
憎むことができないのです
なぜなら私は神の子のすべてに神性を認めるからです
そしてその神性が全く発揮できずにいる人 あるいはほんのわずかしか発揮できずにいる人を見ていつも気の毒に思うからです


ですが許せない制度や暴力に対しては憎しみを抱くことはあります
残虐行為を見て怒りを覚えることはあります 


強欲、悪意、権力欲が生み出すものに対して怒りを覚えます
それに伴って様々な思いやあまり褒められない想念を抱くことはあります


でも忘れないでください


私もまだ極めて人間味を備えた存在です
誰に対しても絶対に人間的感情を抱かないというところまでも進化しておりません 


私は憎しみを抱くことはできません
摂理を知っているからです
神は絶対にごまかせないことを知っているからです
誰が何をしようとその代償はそちらにいる間かこちらへ来てから支払わされます


いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません


ですからいかにみすぼらしくても卑しくても、神の衣をまとっている同胞を憎むということは私にはできません
ですが不正行為そのものは憎みます


「でも実業界には腹黒い人間がたくさんいます」 (※ と、交霊会の参加者)



でしたらその人たちのことを憐れんであげることです
そういう人は必ず罰を受けるのです 
いつか自分で自分を罰する時が来るのです


あなたとわたしとの違いはあなたは物質の目で眺め、私は霊の目で眺めているという点です

私の目には彼らが何世紀もの長い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです
暗黒の中で悶え苦しむのです

その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罰なのです


「でも今現実に他人に大きな苦しみをもたらしております」


では一体どうあって欲しいとおっしゃるのでしょう?
人間から自由意志を奪い去り、操り人形にしてしまえば良いのでしょうか?


自由意志というありがたいものがあればこそ、努力によって荘厳な世界へ向上することもできれば、道を誤って奈落の底へ落ちることもあり得るのが道理なのですよ


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