スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究日誌

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

生まれてきた目的、転生の理由




私は人一倍忘れっぽくて、せっかちな人。
しかも焦れば焦るほど、しなくていい失敗をします。

そんな私は目の前のことに追われそれにばかりとらわれていますと、どうしても、真理(自分とは何か? 何のために生まれてきたのか?=この人生で何をすべきか?)を忘れて行動しがちになります。
すると我が強くなり、必要以上に欲したり自分が望んでいる通りにしたがる "欲望"が、自分の中の良心や善を呑み込み、支配してゆきます。
でもそうした目的を達成した結果、結局何が起きるかというと、新たな苦しみ(不満、怒り、ストレス)の出現です。
そうしてますます身も心も「大変」になってしまう(自分からそうしてしまいます)。


今は故人となった、著名なイギリス人ヒーラーが、著書の中でこう語っています。
「経済的に貧しいくらいの方が気楽で幸せである。 所有していない分、物質的なことに思い悩んだり煩わされる必要がないからだ」

私も大変同感です。
「最低限あれば足りる」暮らしに慣れてくると、やりくり上手になるので、いざという時でもなんとかなるものです(借金さえなければ)。
また些細なことでは動じにくくなります。
それに、収入額の多さは、体力気力、自分のプライベートの消耗と比例します。
ちなみに、疲労やストレス、不安や悩み、痛みや苦しみなどがない状態、つまり心配ごともなく、明るくおおらかな精神状態でなければ、波長が違いすぎるせいで、背後に付き添う守護霊や善霊とつながれなくなるんです。
(憎しみ、嫉妬、強欲さ、心配、後悔、憂うつ、落ち込み、悲観といった、暗くてマイナスな気分や感情もです)

つまり、普段から、彼らのサポートを十分に受けられなくなるのだそうです。
ということは、良い生活を維持したり手にするために身を粉にして必死に働いても、「物質的な豊かさのおかげで "いい" 思いができるのは長い人生のうちでいっときだけ」になる可能性が高い、ということになります。
お金持ちで仕事ができて有名だから、病気をしない、家族の仲が良い、悩みや不安がない、互いに尊敬しあい信頼のおける友人知人に恵まれる、のでもありませんし。


(余談ですが。わたくし事でお恥ずかしいのですが、以前高収入の仕事をしていた頃、頑張ってる自分のご褒美に、カルティエの腕時計を買いました。仕事ができ羽振りも良いように見せたかった=見栄を張りたかったのもありました。
つい最近それを思い出し、長い間しまってあったのを取り出してみたら、止まっていました。
電池が切れただけかもしれませんが、なにせ30年近く前に買った骨とう品(笑)。
オーバーホールに出すしかないと調べたところ、最低でも5万円弱かかりそう。しかも部品代は別です。
なので出すのを諦めましたし、しかももう二度と身に付けられないかもしれません。で、がっかりしました。
イギリス留学中も、自分を鼓舞させるために毎日着けてたくらい、思い出がいっぱい詰まった時計だったので。
とにかく身分不相応のぜいたくをすると、こういうストレスが常につきまとうんですよね。
最初から所有していなければ、限られた寿命や健康、お金。 あちこち検索していた時間やエネルギーさえも、もっと自分の実になることに使えてたはずですし)



ちなみに、このヒーラーさんの名誉のために書き加えさせていただきますと、このかたは生前優秀な経営コンサルタントとしても活躍されてらしたので、生活費の心配は特になかったようです。


ということで、そんな自分のために、思い立ったらいつでもここに立ち寄って思い出せるよう、スピリチュアリズム(真理)の一部をメモしておこうと思います。
同時に、どなたかのお役にもたてたら嬉しいです。

(途中、同じ内容や意味のことが繰り返されていますが、それらはシルバーバーチが何度も何度も繰り返し語っていること、つまりそれだけ私たちに伝えたいことと思われましたので、そのまま書き加えてあります)


*******


私たちの真の姿、実体は霊。
地上で肉体が死を迎え残された人々が悲しんでいる時、霊界ではむしろ、仲間の帰還や再会を喜んでいるのです。
肉体の死はすなわち、霊界での誕生です。
故人はそこで、若々しくて健康的な体や能力と、地上よりもはるかに平和で幸福な人生を手に入れることになります。
悲しむのは誰のため? 死者のため? 自分(自己憐憫や後悔)のため?


霊的な進歩とは、光と愛と真理を広めていくこと、つまり人類のために奉仕するということだ。
私たちがこの人生ですべき目的のひとつは、前世のカルマ(行いの結果)の解消(清算)。
そしてもう一つは、自分の生まれ持った可能性、天分を、最大限にまで引き延ばし、開発することである。


人生の究極の目的は、地上でも死後でも、自分の霊性を開発することにあります。
物質界に誕生するのはそのためです。
その目的にかなった地上生活を送れば、霊はしかるべき発達を遂げられる生活の場に正しく適用できる霊性を身に付けられた時点で、肉体の死を迎えます。
そのように計画されているのです。
そして同じことは霊界へ行っても続き、そのつど霊性が開発され、その都度古い体から脱皮しては霊妙さが増し、自身の内部に宿る潜在的な完全さに近づいてゆくのです。


病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、様々な霊的現象も。
究極的には人間が例外なく神の分霊であること、すなわち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めてそれらの経験が価値をもち、神(宇宙の知恵/法則、大霊)から授かった霊的遺産を我がものとし、自身の宿命を成就するためにはその理解が決して欠かせません。


霊的な悟りを得ることは容易ではありません。
それはとても孤独な道なのです。


安易さ、呑気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。
酷苦と奮闘と難儀の中に合って初めて目を覚ますのです。
これまで魂の成長が安易に得られるよう配慮されたことは、一度たりともありません。
是非理解していただきたいのは大切な知識・偉大な悟りというものは、悲しみと苦しみという魂の試練を通して初めて得られるものだということです。


人生というものはこの世だけではなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一つの側面・一つの色のみでは成り立っていないということです。
光と影の両面がなければなりません。
光の存在を知るのは闇があるからです。
暗闇がなければ光もありません。
光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。

同じように、困難と悲しみを通して初めて、魂は自我を見出していくのです。
もちろんそれは簡単なことではありません。
とてもとてもつらいことです。
でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。
なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去った後に待ち受ける次の段階の生活に備えてそれに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。


地上生活の目的は極めてシンプルです。
死後に待ち受ける次の生活に備えて本来の自分の霊性を強固にするのです。
身支度を調えるのです
開発するのです
となれば良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも長所も短所も、愛も憎しみも健康も病気も。
その他ありとあらゆる体験が、あなたの霊性の成長の糧となってゆくのです。


不幸を通じて魂が目を覚まし、霊的な自我が現れます。
かくして単なる慰めのつもりで始まったことが、霊的発達のスタートという形で終わることになるのです。


霊とは生命であり生命とは霊です。
霊として人間は初めも終わりもなく存在しています。
それが "答え" としての存在を得るのは、地上に限って言えば、母のおなかの中、母体に宿っていた時です。
物的身体は霊に答えとしての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることにあります。
霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が旅の第2段階を迎えるための門出です。
つまり、霊の内部に宿るすべての資質を発達・促進・開発・完成させ、全存在の ソース(根源)へとより一層近づくということです。
霊である以上人は、潜在的には神と同じく完全なのです。


心霊知識のあるなしで、幸福へと至る時(とき)の遅い早いがある。
心霊知識のない人ほど、困苦にあった時、どうして良いか分からぬ。
苦しみのあまり道を誤る。
しかしこういう人も世を経ているうちに反省し、向上心を持つ。

しっかりした心霊知識を持っている者は、困苦に遭っても道を間違えず、これを乗り越え、完全へと進む。
知識が知恵となっているものは守護霊が働くから、困苦の要なく、しかも進歩も著しい。


※参考資料および出典先
シルバーバーチの霊訓〈6〉
スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録
天国の住民が教えてくれること


正確な本物のスピリチュアリズムを普及させたく、一人でも多くの方の目に届くようにとブログランキングに登録しました。気に入っていただけましたらclickしていただけますと幸いです。