スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究日誌

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

カルマへの誤解




シルバーバーチの霊言より


Q. 霊界で地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してから同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか? 神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのでしょうか?


償うとか罰とかの問題ではなくて、要は進化の問題です。
つまり学ぶべき教訓が残されているということであり、魂の教育と向上という、一連の鎖の欠けている部分を補うということです。
生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。
欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。
もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながら果たせなかったものをもう一度学びに行くという場合もあります。
罪の償いの為とばかり考えてはいけません。
ましてや2度も3度も罰せられることは決してありません。
(※ ましてや、料金を払って誰かにカルマを解消してもらうなど、100%ありえません。 自分の生き方や性格改善を見知らぬ他人にしてもらうようなものですので)


Q. 自分はこれまでに地上生活を何回も経験しているということが明確にわかる霊がいますか?

います。
それがわかる段階まで成長すれば自然にわかるようになります。
その必要性が生じたからです。
光に変えられるようになるまでは光を見ることができないのと同じです。
(前世の)名を挙げるのも結構ですが、それでは何の証拠にもならないでしょう。
何度も言ってきましたように、再生の事実は、「説く」だけで十分なはずです。


*****


霊の書より (世界三大霊訓の一つ。スピリティズムの祖であるカルデックの名著)


Q. 霊が未発達の時代に犯した失敗の記憶があって、そのため、霊の浄化を遂げても、幸福の障害になるということはないのでしょうか


そんなことはない。 もうその罪は償われており、そのための試練の見事に耐え抜かれているのだから。



Q. 今後の浄化のためになお試練を受けねばならない。そう思うと辛い気がかりで幸福も失せてしまいませんか?


それはある。 だがそれは悪がなお染みついている魂の場合で、それが浄化された時、初めて十全の幸福が味わえる。
しかし、ある程度まで進歩していれば今後受ける試練のことを想っても、苦痛など一向に感じないものである。


諸君らは人が死ぬと苦しみから解放されたと言うが、それは必ずしも真実ではない。
霊としてもはや肉体的な苦しみはないだろう。
しかし自分が犯した罪に大して肉体の苦しみ以上にもっと辛い精神的苦痛が待っているかもしれぬ。
またさらに再生すれば、より一層の不幸を味わうかもしれない。
前世で富を利己のために 乱用をした者は、自分のパンを乞わねばならなくなり、貧窮のありとあらゆる苦しみを味わう者となろう。
高慢だった者はあらゆる屈辱を耐える者となろう。
権利を悪用して部下を軽んじ、冷酷に取り扱った者は、自分よりもっとひどい主人に使えねばならなくなる なるだろう。
人生の艱苦は、今生で犯した過誤の結果で結果でなければ、それは前世で犯した謝りの償いである。
現世のその人の生涯が終わる日、諸君はこのことを理解するだろう。
なんでも欲望が思い通りに叶えられて、現世の生活が自分で幸福だと思っている者は、自己改善のための努力をしない。
そんな束の間の幸福は、この世においてさえ、それ以上の試練を受けて帳消しにされてしまう。
さもなくば、生まれ変わって再生した時には確実に帳消しされてしまう。



Q. 私たちの現世の苦労は、前世で自分が犯した過ちの罰でしょうか?


そうではない。 前にももうしたが、それは前世で犯した過ちの償いのために、神が本人に課したか、又は本人が再生前の霊の時代に自分で選択したか、どちらかの試練である。
諸君の目からみて立派な人が苦しんでいるのをよく見ることがあるが、あれはこの理由による。彼らは前世での過ちを今生で償わされているのである。



Q. 地上生活を通じて進歩向上に努めた霊はまた同じ地上に再生できますか?

できる。
本人が自分の使命を完成していなかったならもう一度再生を求めることになろう。
だがこの場合はもはや罪の償いではないのである。

自分の過ちを償う時間があれば地上生活中でも進歩を見る。
良心の声で自分を責めつけたり、自分の欠陥を目の当たりに見るときは、人は常に進歩を見る。



Q. 波風もなく平穏に人生を送る人がいます。
彼らは自分のためには何もすることがないので心を煩わすことが何もないわけです。
このような幸運は前世で罪を償わないといけないようなことは何もしていなかった、そういうことですか?


そんな一生は見かけのみが穏やかに見えるだけである。
霊本人がそのような人生を選んだということかもしれない。 だが本人は死に際して、こんな一生は自分の進歩のために何にもならなかったことに気づき、ぶらぶらと過ごした時間を後悔する事になろう。
活動があってこそ、霊は初めて知識を得、進歩が獲得できる。

このことをよく心得よ。
眠り呆けている霊はいささかも進歩しないのである。
よくよく心してもらいたいことは、自分の怠け心で作った無益な時間は、必ず自分で償いをしなければならないこと、その無益さは必ずや未来の幸福に致命傷となる。
どれほどの幸福は得られるか、それはどれほど善を行ったか、互いにその合計に比例する。
それゆえに未来の不幸の総計は、人が犯した悪の総計に、本人が人を不幸にしたその数に、必ずや釣り合っている。



※参考資料および出典先
霊的叡智の宝庫 シルバーバーチの教え(新版・上)
(2017年に改題と一部改訂がなされ、現在はキンドル版で販売されている模様です)
霊の書〈上〉―大いなる世界に


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