スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究日誌

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

物欲や名誉欲が強く、傲慢であり続けた故人による告白




※追記しています


傲慢さや名誉欲、物欲。

これは誰もが陥りがちな「ワナ」だなぁと思いました。
自分自身への自戒も込めて、ここにメモしておきます。


こちらの本からお借りしています。

(※ この本の出版元は著名な宗教団体の系列会社です。価値ある素晴らしい内容なのにこの点は残念でなりません)


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ウラン王太子 ー ロシアの貴族 1862年ボルドーにて。


とある霊が突然霊媒を通じて、「自分はウランというロシアの貴族である」と苦しそうな声で名乗り、交信を試みてきた。
(肉体の死後、霊体と肉体の分離がうまくゆかず、その際に肉体に起きていた痛みや苦しさがずっと残り続け、それが霊体にも伝わって苦しんでいるようです。 自死などで天寿を全うしなかった人、この霊のように自己中心的で傍若無人に生きた人、物欲や地上界へのしがみつきが強い人ほどそのような状態になるそうです。 とはいえ永遠には続きませんし、反省し、改心できれば守護霊たちが助けてくれます。 またしがみつく理由にもよるようです)



Q. 現在の状況を教えていただけますか?


どうか私のために祈ってください。 (人間の祈りはちゃんとあちらに届いて、苦しむ霊たちにとっては、大きな安らぎでしたり、霊界に上がるための目覚めのきっかけになるのだそうです)

貧しき人々は幸いです。
なぜなら試練に立ち向かう時に謙虚な姿勢で臨めるからです。

あなた方、つまり地上にいた時に幸福であった人々を羨望の眼差しで見ていたあなたがたには、その人たちが他界した後にどうなったか、わからないでしょう?
彼らが頭の上に燃え盛る石炭を積まれているのをご存知ないでしょう?

富を自分の楽しみのためだけに使った者がその後どのような犠牲を払うことになるか、あなたがたには見当もつかないでしょうね。


傲慢な 暴君 であった私は、圧政を敷いて、人々を散々痛めつけました。
あぁ、私の傲慢によって犯したこれらの罪を神の許可によって償うことができたなら!

ああ傲慢!

この言葉を繰り返し口にして、忘れないようにしてください。
傲慢こそが人間を襲うあらゆる苦悩の原因なのです。


ああ・・ 私は私に与えられていた権力を乱用しました。
家臣たちに対し、冷たく残酷で、彼らを自分のあらゆる気まぐれに従わせました。
そして私はあらゆる邪悪な欲望を満たしたのです。

威厳、栄誉、財産を求め、それらをあまりに多く手にしすぎたため、私はその重さに耐えられなくなって潰れたのです。


***


人生に失敗した霊たちはほとんど例外なく、「自分が失敗したのは重すぎる荷物を背負わされたからだ」という。
これは彼らなりの言い訳なのであろうが、そこにはまだ傲慢さが残っている。

彼らは、「自分が悪かったために失敗をした」とは認められないのである。

 
神はどんな人に対しても、背負える以上の荷物を負わせることはない。
また、その人が与えることのできるものより多くのものを要求することもない
種から芽を出したばかりの幼い苗に、「大木と同じだけの果実をならせよ」とは言わないのである。

神は霊達に自由を与えておられる。
彼らに欠けているのは意思のみである。
そして意思は彼ら自身が持つ外ないものであって、誰かが強制的に持たせることはできない。
   
意志さえあれば克服できない欠点はない。
けれども、自分のもつ欠点に甘え、寄りかかっている間は、それを克服するための努力を行うことはありえない。

従って、いかなる結果が出ようともすべて自分に責任があるのである。
他者や環境のせいにして、批判したり責めるべきではない。



Q. あなたはご自分の過去生の記憶を持っていますか? これは教育的な見地からお伺いしているわけですが。


ええ。 それはあなたの指導霊たちも全て知っているはずです。


私はマルクス・アウレリウスの時代にも生きていました。
その時も私は権力者であり、傲慢ゆえに失敗しました。
傲慢こそがあらゆる転落の元でした。

それから何世紀にもわたって霊界で修行をした後、私は無名の人間として、地味で目立たない人生を送ることにしました。
貧しい学生となり、時には物乞いもしました。

しかし傲慢さはなくなりませんでした。


知識はたくさん身につけられましたが、温かい心は得られませんでした
やがて野心家の学者となった私は、自分自身を最も高く買ってくれた悪魔に魂を売り、復讐と憎悪に生きたのです。
「まずい」とは感じていたものの、名誉と富への渇望が、良心の叫びを押し殺してしまったのです。

その時の「償い」もまた、長く、厳しいものでした。
けれど今回の転生でも再び、贅沢と権力に満たされた生活を選んでしまったのです。


自分で "暗礁" を避けることができると思い、人の意見には耳を貸しませんでした。
またしても傲慢さから自分の考えだけを重んじたのです。


私を見守って忠告してくれる友人達もいたのに、彼らの言うことにも耳を傾けませんでした。
その結果がどうなったか。
ご存じの通りです。




もう一例、必見のケースがあったのでつけ加えます。

クレール ー 極端なエゴイスト 1861年 パリ霊実在主義協会にて

(クレールの告白そのものは割愛します。ご興味の向きは上のご本をご覧になってみてください。ただ、とても横柄でわがままな態度です。霊になると誰もの 本性=霊格 がむき出しになるだけでなく、生前よりも過剰に出るからです。このケースについてカルデックの解説がとても良かったので所々抜粋しながらお借りしています)


クレールのメッセージは人生の本当にありふれたところ、つまり誰もが持っているエゴイズムについて明らかにしているので、非常にためになる。
そこにあるのは、人々をおののかせるような重大な犯罪ではなく、人々に尊敬され、羨ましがられるような、社交界にならどこにでもいるような人間たちのケースだからである。


彼らは上辺を取り繕うのが巧みなので、この世の法に触れるようなことは決してしなかった。
そして霊界でも我々を戦慄させるような、例外的な厳しい懲罰を受けるわけでもなく、地上での生き方、そして魂のありように応じた、ごく単純で当たり前の結果を引き受けるのみなのである。

すなわち、遺棄、孤立、断絶が、 地上で自分自身のためだけに生きた人間を待っている処遇なのである。


既に見たようにクレールは、大変知的で優れた、けれども心は冷たい女性だった。
地上においては彼女の社会的地位、財産、美貌は人々の賞賛を集め、それが彼女の虚栄心を満たし、彼女はそのことにすっかり満足していた。
そんなクレールが他界後、霊界で出会ったのは 空虚であった。
これは苦しみよりもさらに辛い処罰となる。 というのも、完全な無関心に取り囲まれた時、そこには周りからの同情や哀れみさえも存在しないからである。


彼女の3番目のメッセージは恐ろしいほどの真実に満ちている。
そこでは悲しい状態に陥った、ある種の霊が見せる強情さが見事なまでに浮き彫りにされていたからである (霊体に戻ると、その人の本性がそのまま新たな人格となって現れます)

善霊たちが享受している幸福に対してあそこまで無感覚になれるものかと驚く。
それはまさに、腐敗しきった人間が汚濁の中で、そして粗雑な性的快楽の中で、喜んでいる姿そのものである。


それはそれで、ある意味ではいごこちが良いのかもしれない。というのも彼らには繊細な喜びがどのようなものかがわからないからである。


彼らは自分たちの世界よりも上に行けるとは思わないので、ずっとそこ(幽界。霊界の低級層)にとどまり続けている。 彼らのあり方に変容が生じ、感覚が繊細になって、より精妙なものが感じ取れるようになるまで、そうした生活が続くのである。


しかしやがて経験を積み、試練を経て、再び地上に転生して悲惨を経験するうち、自分たちが持っているものよりも良いものがあることに気付く瞬間がある。そして自分に欠けているものを自覚し始め、それを獲得しようと努力し始める。

ひとたびこうした道に入れば、彼らは相当なスピードでその道を進むことになるだろう。 というのも「自分には無縁だ」と思いこんでいた至福を得ることができるし、自分の周囲にいる、粗雑な感覚を持っている者達に違和感を持つようになるからである。


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