スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究日誌

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

偽りのチャネラー(霊媒)― 妄信にはご用心




かつてヨーロッパでその名を知られた霊媒(チャネラー)、オズボーン・レナード女史の著書から。
この本は訳者の近藤千雄先生もおすすめの一冊だそうです。

ところでタイトルですが、個人的には「超能力」というより「霊能力」としたほうがふさわしい内容だったように思います。



『残念ながら心霊家の中には熱心さのあまり何もかも背後霊に頼むのはいいが、人間としての努力を忘れている人がいる』

ここから、レナードさんのお友達に起きた出来事が語られ始めます。

内容はといいますと、"スピリチュアル"(スピリチュアリズムとは呼べない。オカルトのほう)にハマっていたレナードさんのお友達。
ひょんなことから、精神の病を患っていそうな老婆を「霊媒能力があり」、しかも亡くなったご主人がこの老婆に降りてきて自分の助けをしようとしてくれていると信じてしまいます。
そしてその友人は老婆を料理人?メイド?として雇い入れ、毎日のように悩み事や相談を持ちかけては老婆もそれらしく答え、するとご友人は老婆の言葉を全て鵜呑みにしその指示に従っていたのだそうです。


その光景を見かけたレナードさん、「このままではいけない」とお友達を心配し、説得を始めます。
けれどもお友達は頑として聞かないばかりか、逆に老婆の能力を評価しようとしないレナードさんの能力を疑う反論をしてきたそうです。

そうこうする後日、とある事件が起きて、ようやくお友達はおかしいと気づき、目が覚めたそうです。


*****


この話で結局一番罪があるのは誰であろうか。
老婆を操っていた悪霊だろうか 。
そうではない。この老婆は自己暗示でそれらしい真似をしていただけである。

この女性の亡夫の霊が、何月何日は午前中が不吉だから11時までは寝室から出てはならないとか、あのドレスは悪い波動を出しているから出てしまいなさいとか老婆に言ったと言うが、悪霊邪霊の類でも、こんな下手な悪さはしない。


問題はこの老婆を過信した友人の態度である。

つまりそのしつこくて盲目的態度が、老婆に霊媒ぶった気分を起こさせ、もっともらしいことを言わせていたのである。


霊能開発においてそうした迷いにはまらないために是非とも心がけるべきことは、まず、霊魂といえども決して万能ではないこと。
また、彼らにも彼らなりの霊界での仕事があって、いちいち地上の些細なことまでかまっているわけにはいかないこと。
そしてまたちゃんとした条件が揃わない限り、そうやすやすと人間を動かせるものではないこと。
この三つの点を理解することである。


考えてもみたら良い。
他界して新しい(素晴らしい)世界に目覚めたものが、何を好んで地上のたわいない問題にいちいち首を突っ込みたがるだろうか。


顕幽両界を通じて不変のものは、愛情と友情と同情である。
故に、愛に基づいた霊界との交信、また、人類の向上と進歩を目的とした顕幽共同の企画ならば、霊も喜んでこれに参加するであろう。
なぜならばそれが地上の人にとって有益であると同時に、霊達にとっても有益だからである。

霊能開発の究極の目的はそうした広い視野に立った建設的仕事にある。

紛失した財布やブローチなどのありかを教えてもらったり、株の予想などを聴いたりするのは邪道であり、あまりに次元が低すぎる。


その意味で最近、心霊に関する情報が浸透しそうした人が少なくなってきたことは喜ばしいことである。


※参考資料および出典先
超能力を開発する本―意識の窓をひらく


******


ここまで。

この中で大切な情報と思えたのは、そもそもなぜこうした心霊現象が起きるのか?(霊たちが起こそうとするのか?)、その理由や目的です。
そしてそれは霊言や心霊現象を起こすことで、「人は霊であり死なないこと」と、「肉体の寿命が尽きた後に控える本当の世界について人間に知らしめること」、です。

その知識が増えるにつれ、ひるがえって、「それではこの人生で自分が何を成し遂げたらいいのか?」がわかりやりがいや生きがいを得たり、あるいは大切な人を亡くしたり現世的な問題で苦しんだり悲観してらっしゃるかたの苦痛や迷いを和らげることもできると、私は確信しています。


また、スピリチュアリズム(心霊学。思想、哲学)は、誰かに創作された逸話が教義になっている宗教とは違い、生まれ変わりや交信で「死者」から与えられた情報の検証がなされ、それに基づいて生まれたものです。

もちろん、死ななければ、すべての人が納得できる証はありませんが、けれども、完全に否定できないこともまた事実です。
今の文明や科学が、まだそこに追いつけていないのですね。


どちらにしても、霊界があっても無くても、スピリチュアリズムを実践することで、絶対絶命の窮地に立たされることはないと思います。
情報(源)の見極めさえ誤らなければ。
そしてその見極めができるのは、良心や道徳心、だそうです。

「自分の(良心や道徳)心の常識に照らし合わせて、『本当にそうなのか?正しいのか?それが良いのか?』、真を問うてみること」
という風に、シルバーバーチも語っています。


ただ、そうはいっても地上生活では通用しそうにないことも少なくありませんし、自由意志で生きられる権利も全員に与えられています。
ですので、『自分がしたこと選んだことには責任が課せられ、どんな結果になろうともその後始末を引き受ける』自覚や覚悟さえあれば、たとえ良心の声に逆らうことでも選んだりやっていいのですね。

肉体の死後、もしもその行為に対して罰が下るのであれば、それは自分が自分に対して下しますので。
誰かが強制するものではありません。

というのが本来の、「自己責任」という言葉の重みや実際なんじゃないかなと思います。


とにもかくにも、占いでするような質問に対していっけん「まともな答え」がかえってきたら、それは邪霊や低級霊のいたずらか、あるいはそのチャネラーさんの妄想です。


それによく考えてみてください。

(霊格が高い=善良な、愛や情がある)霊界の人達はそもそも、お金や財産や物、名声に興味がないばかりか、それらへの欲をもつことに対して否定的です。
ですのでそうした考えかたや性格を肯定し、助長するようなアドバイスをするはずがありません。

むしろ「そんなことはどうでもいいから、もっと素直に、人には思いやりをもって優しく接しなさい」位、言われてしまいそうです。



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