スピリチュアル レッスン ー スピリチュアリズムの探究記

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

「愛とはすてないこと」


この間、はじめて、遠藤周作さんの本を読みました。


お布団に入って読み始めたら一気に引き込まれ、気がついたらすっかり空が明るくなってました。
でも読み終わった後でも、気持ちが昂ってて、ほとんど一睡もしてないのに眠気はどこへやら。
最後の方は号泣で(笑)、何日経ってもいまだにその余韻が残っている・・。
そんなインパクトのある小説を読んだのは久しぶりかも、です。


その本はこちらです。遠藤周作ファン?の間では人気の本らしいです。

新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)



ところで私はいわゆる「文豪」の作品って、片手で足りるほどしか読んだことがありません。
なのに今回どうして遠藤周作さんだったのか?と申しますと、「愛とはすてないこと」とおっしゃったからです。
この言葉を初めて目にした時そのまま心に焼きつきまして、その後も思い出すたび頭の中でぐるぐるリフレイン(笑。

私は大いに共感ができるのだけれど、先生はどうしてその意見にたどり着いたのか、またどんな意図や意味をもってそのようにおっしゃっていたのか。
経緯や真意をもっと知りたいと思って、この言葉が出てくる作品を探していたところ、この本に行き着いたんですね(ちなみになんと100冊以上も作品がおありでした びっくり@o@;)。


ただ、残念ながらこの作品では触れられていませんでしたので、ねんのため。
けれど結局は、ストーリーを介して間接的にそのことを伝えたかったのかな?という風にも感じられました。


*****


ではストーリーを大まかに(ネタバレありなのでご注意を)


時代は終戦間もないころ(1948年頃だったような?)
聖女のような心をもつ、一人の女性の物語です。


遊び人の大学生と文通で知り合い、彼から誘われるまま、デートに出かけます。
その後、強引な彼に押し切られ、出会ってまもないというのに、うぶで純粋な彼女はセックスしたがる彼への"慈悲心"から、たった一度だけ関係をもちます。
が、その後、彼からの連絡がぴたっっと途絶えてしまいます。


当時みっちゃん(ミツさん)は、小さな工場で働いていました。
関係をもってから、彼に淡い恋心?感心を抱いていたようです。
次のデートに着ていこうとしたんでしょうか。
地味な服しかもっていなかったみっちゃんは、商店街のお店で見かけたかわいいセーター(カーディガン?)が欲しくて、同僚?に嫌味を言われながらも、毎日一人残って残業を続けてお金を貯めようとします。

そんな矢先に彼がいなくなってしまったのです。
手紙の住所を辿って彼の下宿を見つけた時、彼はすでに引っ越していた後でした。
しかも家賃とか踏み倒したままで。


はじめてのデートの時、彼がお金に困っている様子を見て、心優しいみっちゃんは、自分だってカツカツの生活をしているのに彼にあげたりもしていたんですよ。(あと、貧乏なのにデート中にお金路上で売られてた「十字架(著者は敬虔なクリスチャンであり、この小説の中では愛を象徴するモチーフでもある?)」のアクセサリーを"買わされて"、その一つを彼にあげたんです。でも彼はそれを捨てたんですよね)

もちろん彼女はショックを受けてがっかりします。

でも彼はもともとみっちゃんのことは恋愛対象では見ておらず、手っ取り早く自分の性欲を満たせそうな相手でしかなかった。
なので目的を果たせたら、もう彼女とは会わないつもりでした。
みっちゃんは小太りでオシャレでも美人でもありません。
しかも世間知らずなところがあり、中卒だわ戦争のせいでろくに勉強もできなかったわで、字や手紙もろくに書けませんでした。
当時は大学生というだけでエリート扱いされ、庶民から羨望のまなざしで見られる時代。
ですから彼もプライドの塊で、威張ってて、みっちゃんのこともちょっと見下してたくらいでした。


なんて、これではいかにも彼は最低な、ひどい男性っぽいですが。

ラストには、二人の別れから数年後に、衝撃的な結末を迎えます。
その時、彼に心に変化が起こるのですね。

ラストシーンでは彼は、裕福な家庭に生まれ育ち、戦後まもない昭和20年代というのにゴルフもたしなむような女性と結婚してました。
けれど彼はずっとみっちゃんのことが忘れられなかったんです。
それは、もしかすると、彼女が類まれな愛情の持ち主であり、その心の美しさに気づいてしまったからかも?と私は思いました。
彼は、みっちゃんが彼のことを恨んでたどころか、彼のことを一途に思い続けてたことを気づかされます。
そうして彼は初めて、彼女の、人間としてのすばらしさに気づき、後悔や罪悪感みたいなものが芽生え始めるんです。
そしてこの物語は幕を閉じます。


彼に利用された挙句捨てられて、母親を亡くし継母のいる家に帰れなくて、学歴もなくて貧乏で、容姿もイマイチであか抜けてないみっちゃん。
工場を辞めた後は、生活のために怪しげなお店を転々とし、そのうちハンセン病と診断され、人里離れた病院に隔離されてただ死を待つだけだった彼女は、イマドキの世間の物差しで言えば「最下層の人」に当たると思います。
でもそんなみっちゃんの純粋な生き様が、逆玉に乗って勝ち組だった彼の良心の目を覚まさせたんですよね。

でもでも、彼がそれに気づいた時はすでに遅しみたいな、哀しい結末でした。

この小説に興味をもたれたかた、こちらの読書メーターのサイトで、他のかたの感想(ネタバレもあり)が読めますよ。
bookmeter.com



みっちゃんは彼を「見捨てなかった」(しかもそれは彼だけじゃありませんでした)
とはいえ、それは恋愛感情だったのか?というと、私はちょっと違う気がして。
幼馴染や家族、友人を心配し気に掛けてる風で、でも初めての相手が彼で、彼との出会いから彼女の生活が変わったから、それで「忘れられない人」になったのかな?なんて。

とにもかくにもフィクションとわかっていても惹きつけられる、久しぶりに心洗われた良い作品でした。


*****


霊界通信の中ではしきりに、利他愛の素晴らしさや実践が語られています。
霊性を高める手段や方法は "利他愛" "奉仕" に尽きる、と。
こうしたことを、あれこれ考えずに行えるみっちゃんは、スピリチュアリストのお手本のようにさえ思えました(もちろんフィクションですが)。


しかし考えてみると、あの頃も含め、昭和の時代には、みっちゃんみたいに純粋な心の持ち主さんたちが今よりもあちこちにいた気がします。
自分よりも相手を尊重し、肯定的に受け入れて、同情したり思いやってた。
言葉じりをとらえては「それは間違いだ、おかしい」とか、自己肯定感が低いとか、承認欲求がどうとかこねくり回す。
そんな屁理屈やできない言い訳などどうでもいい。
本来、他人のあり方や生き方にとやかく意見ができるのは、実際にそれができている人たちだけですよ。
知っているだけなのと、できるのとでは深さが違うんです。

なんて、もしもタイムスリップしたら、そんな風にいわれてしまいそうです。


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