スピリチュアル レッスン

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

ベールの彼方の生活 ー 罪の報い(2)




こんにちは。

昨日の記事の続きです。
spiritual358.hatenablog.com



こちらの本からお借りしています。

ベールの彼方の生活(第一巻)



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罪の報い (後編)


私たちは夫人の心に何かがあると感じました。
しかし実際にそれが何であるかはよくわかりません。
何か私たちにつかみどころのないものがあるのです。

そこで私たちは夫人にもっと身の上について話してくれるようお願いしたところ、ついに秘密を引き出すことに成功しました。
それはこういうことだったようです。


**


"橋" の向こう側の遠い暗闇の中で助けを求める叫び声を聞いた時、 待機していた男性の天使がその方角へと霊の光を向け、すぐに救助の者を差し向けました。

行ってみると、悪臭を放つ汚れた熱い川の岸に(※)その女性が気を失って倒れておりました(※ 低級界は暗くて臭くて悪人ばかりの劣悪な環境なのだそうです)

そのまま女性を抱きかかえ、橋のたもとの門桜まで連れてきました、
そこで手厚く介抱し、意識を取り戻してから橋を渡って、私達が迎えに出た場所まで連れて来たというわけです。


さて救助に赴いたかたが岸辺に彼女を発見した時の事です。

気がついたその女性は辺りに誰かがいる気配を感じましたが、姿が見えません。
彼女はとっさに、それまで彼女をいじめにいじめていた悪い仲間と思い込み、大声で「触らないで!こん畜生!!」とののしりました。

が、次に気がついた時は門桜の中にいたというのです。

私たちと歩いている最中に彼女が急に足を止めたのは、ふとそのことが蘇ったからでした。


彼女は神の使いに呪いの言葉を浴びせたわけです。
自分の言葉があまりにひどかったので光を見るのが怖くなったのです。


実際には、誰に向かってののしったのか、彼女自身も分かりませんでした。
しかし誰に向かって言おうと呪いは呪いです。
そしてそれが彼女の心に重くのしかかっていたのです


私たちは相談した結果、これはすぐにでも引き返すべきだという結論に達しました。

つまりこの女性には他にも数々の罪はあるにしても、それは後回しにできる。
それよりも今回の罪はこの光と愛の世界の精霊に対する罪であり、それが償われない限り本人の心が休まらないであろうし、私たちがどう努力しても効果はないとみたのです。

そこで私たちは彼女を連れて引き返し、橋を渡って門桜のところまで戻って来ました。
彼女を救出にゆかれたくだんの天使に会うと、彼女は赦しを乞い、そして赦されました。


実はその天使は私たちがこうして引き返してくるのを待っておられたのです。
私達よりもはるかに進化された霊格の高いかたで、したがって叡智に長け、彼女がいずれ戻って来ずにはいられなくなることを洞察しておられたのです。
ですから私たちが来るのをずっと門桜から見ておられ、到着するとすぐに出てこられました。
その優しいお顔つきと笑顔を見、その女性もすぐにこのかただと直感し、ひざまづいて祝福を頂いたのでした。



今夜の話にはドラマチックなところはないかもしれません。
が、この話を持ち出したのは、『こちらでは一見何でもなさそうに思えることでも、きちんと片付けなければならないようになっている』 ということを明らかにしたかったからです。


実際、私には何か、私たちの理解を超えた偉大な知性が四六時中私たちを支配しているように思えるのです。
あのお気の毒な罪深い女性が向上していく上において、あんな些細なことでもきちんと償わねばならなかったという話がそれを証明しております。


橋を渡って門桜まで行くのは実は大変な道のりで、彼女もクタクタに疲れ切っておりました。
ですが自分が毒づいた天使様のお顔を拝見し、その優しい愛と感情の言葉をいただいた時に初めて、辛さを耐え忍んでこそ安らぎが与えられるものであること、そして、為すべきことを為せばきっと恵みを得られる、ということを悟ったのでした。

この確信は、彼女のようにさんざん神の愛に背を向けてきた罪をこれから後悔と恥辱の中で償っていかなければならない者にとっては、かけがえのない心の支えとなります。


罪悪というのは本質的には否定的性格を帯びております。
がそれは、神の愛を否定する事であり、単に戒律を破ったということとは比較にならない罪深い行為です。
魂の本性つまり内的生命の泉を汚し、宇宙の大霊の神殿に不敬を働くことに他なりません。


その汚れた神殿の清掃は、普通の家屋を掃除するのとは訳が違います。
強烈なる神の光がいかに些細な汚点をも照らし出してしまうのです。


それだけにまた、それを清らかに保つ者の幸せは格別です。
なんとなれば、神のみ心のまにまに生き、人を愛するということの素晴らしさを味わうからです。


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そしてこの説明を補足するかのような、このような通信もありました。

「霊界には、神や悪魔による最後の審判などない」という説明です。


1913年10月27日 

あなたが霊界での介護のしかたを知りたいのではないか?と思われますので申し上げましょう。
(地上から亡くなったばかりの霊、あるいは下層界から逃げてきた霊たちはとても弱っているため、介抱するための休養所があることは、他の霊界通信の中でも伝えられています)


これは、"愛" の一語に尽きましょう。
それが私たちの指導原理なのです。
ということは、私たちは罪を裁かず、罰せず、ただ愛を持って導いてあげるということですから、 その事実を知った患者の中には、とてもありがたく思う人がいます。


ところが実はそう思うことが原因となって、かえってそこにいたたまれなくなるものなのです。


「審判者はどこにおられるのでしょうか? そして最後の審判はいつ行われるのでしょうか?
そのことを思うといつも身震いがするのです。
私のような人間はさぞひどい罰を言いつけられるに決まっているからです。
どうせなら早く知って、覚悟を決めたいと思うのです」


これは実はこちらへ来る人の多くを戸惑わせる問題のようです。
「悪いことをしているので、どうせ神のお叱りを受けて拷問にかけられるだろう」と思い込んでいるので、そんな気配がないことにかえって戸惑いを感じるのです。

また一方で、「自分は立派なことをしてきた」と思い込んでいる人が、置かれた環境の低さ、時には惨めなほど低い環境にとても落胆することもよくあります。
内心では、一気に神の御前に召されて、よくぞやってくれたとお褒めの言葉でも頂戴するものと思い込んでいたからです。



最近こんな人を見かけました。
この方は地上では大変な文筆家で、何冊もの書物を出版した人ですが、地上でガス工場の釜焚きをしていた青年に話しかけ、色々と教わっているところでした。
楽しそうな様子なのです。
というのも、その人は謙虚さを少しずつ学んでいるところだったのです。

ですがこの人のいけないところは、そんな行きずりの若造を相手に教えを請うのは苦にならないのに、すでにこちらへ来ているはずのかつての知人の所へ赴いて、地上での過ちや知的なうぬぼれを告白することはしたくないのです。
しかし、いずれはしなければならないことです。
青年との関係はそのための準備段階なのです。


しかし同時に、私たちの目にはその人の過去も現在も丸見えであり、特に現在の環境が非常に低いことは明白なのに、本人が変わらず、自分の内に秘めたうぬぼれが他人には知られていないと思い続けているのが、哀れに思えてなりません 。

こういう人には指導霊も大変な根気がいります。 けれどそれがまた指導霊にとっての修行でもあるのです。


他人に教えを説く際はよくよく慎重であらねばならないと思われたのは誠に結構なことです(この時のオーエン氏はまだ牧師さんでした)
でも、このことはあなた一人に限ったことではありません。
全ての人間がそうあらねばならないことですし、全ての人間が自分の意思と言葉と行動に慎重であらねばなりません。
こちらではそれがことごとく知れてしまうのです。
(その時々の偽りのない感情や気持、ひそかに抱いていた欲望も、霊界の霊たちに向けて筒抜けになります)


でもひとつだけ安心して頂けることがあります。
万が一よからぬこと、品のないことをすっかり考えたり口にしたりした時は、そういうものは高い境涯には届かないように配慮されております。
ですからそちらではどうぞ気楽に考えてください。
思いのまま遠慮なくおしゃべりになることです。
こちらの世界では、誠意さえあれば、たとえその教えが間違っていても、間違いを恐れて黙っているよりは歓迎されるのです。


***


(補足)
「死んだら最後の審判を受け、地獄に落ちて拷問に掛けられる」という考え方があります。
最後の審判は、自分の良心(後悔)が自分自身に対してするもので、また自分の霊格の波動に合わない上級の階層に無理にいつづけても、具合が悪くなったり孤独だったりと、居心地はとても悪いそうです(人間界でも、突然天皇家とか上流階級の生活をするのは窮屈なように)。
そこで先の女性のように、自らの意志で低級界を出、居心地の良い場所を見つけ、そちらで暮らすようになります。

人によってはそれが、冷酷非道な悪霊や邪霊ばかりがいてカオスな、低級界になる場合があります。
すると、本人自身が善や愛に目覚め、向上心が芽生えるまでそこにい続けなければなりません。
この状況が「地獄に落ちる」と呼ばれているかと思います。
そしてもう一つの "地獄" は、自殺をしたり、怒りでも愛着でもこの世に強い未練や執着をもつせいで、腐乱していく肉体に閉じ込められて離れられないケースです。 もしくは地縛霊となって、ひとり地上と幽界の間をさまようこと。
こうした期間は地上の時間で何十年にも及ぶことがあるそうです。



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