今日は、原始仏教の位の高いかたで、マインドフルネス瞑想法のベースになっているヴィパッサナー瞑想の第一人者であられる、スマナサーラさん。
その著書の中から一部の箇所をpickupしてまとめ、こちらに公開メモしておきたいと思います。
(スマナサーラさんの本は主要なものはほとんど読ませてもらっていますが、その中でもこちらの本はとても理にかなっていて、生きる上で役立つことを、子どもにもわかりやすくまとめたり説明してくださっている良書と思います。宗教臭はほとんどありません)
ブッダの幸福論
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第二章 正しい生き方をやってみる
私たちはどんな生き方をすればいいのでしょうか。
その問いの答えは、「正しい生き方をしなさい」ということです。
すると次に「では、正しい生き方ってなんでしょうか?」という疑問が出てきます。
(略)
だからこの世のなかで、「どうすればいいか」ということは、人間にはあまりよくわからないのです。
ある見方で見ると悪いし、別な見方で見ると善い。
このような調子では、自分はどうすれば良いかが分からなくなる。
けれどもその両方にも入らない、「正しい」とすべき方法もあるはずです。
それを仮に「第三番目の道」と名づけておきましょう。
善悪がよくわからない世のなかで、なんとか正しい生き方というものを探さなくてはいけない。
そこで第三番目の道が現れます。
あまり気にしなくても、自分の生き方が正しくなる方法です。
いちいち一つ一つ、考えに考えて行動しようと思うと、一生何もできなくなります。
普通に自然に生きている、その生き方が正しくなければいけない。
それが学ぶべき「生き方」ということです。
仏教には「生き方」を表す専門用語があります。
「戒律」です。
戒律と聞くとみな驚くのですが、ただ「生き方」のことなのです。
戒律を守るということは、「生き方を決める」ことなのです。
仏教の「生き方=戒律」には、五戒とよばれる五つの項目があります 。
不殺生(ふせっしょう)・・・生命を殺さない
不邪淫(ふじゃいん)・・・性欲を満たそうとしてはいけない
不飲酒(ふおんじゅ)・・・酒も薬物も智慧の土台を壊す
不偸盗(ふちゅうとう) 盗まない
「盗む」ということは、人の持ち物をとることです。
他人の持ち物はその人が生きるためのもの。
その人のもつお金(財産)は、その人が生きるためにがんばって、社会から頂いたお金です。
私たちにはそれを盗る権利はありません。
私たちが人のものを盗んでしまった時、私たちはその人の生きる権利を盗ったことになります。
お金が欲しいなら、自分が社会に貢献し、それに適した分をもらうのであって、自然法則によって自分に与えられている分以外を、人から盗っててしまうのは "自然破壊" です。
自分に与えられた分以外、使ってはいけないのです。
そうすれば、世界はみんな、よくなるはずなのです。
『一人に一人分だけ』 なのです。
この生き方のルールから何を勉強するのかと言うと、一人の命を支えるための適量というものがあるということです。
私たちは適量でストップさせ、生きていかなければならないのです。
不妄語(ふもうご) ウソをつかない
「ウソを止める」ということは智慧を育てることです。
うそをつくのは人を騙すためです。
自分の都合で人を騙し、欺いて、自分が得をしようとしてウソをつく。
もう一つは、自分が何かマズい事をしでかし、それを隠したい場合にもウソをつきます。
ですが基本的にどんな人でも自分が騙されたくはありません。
なのにそういう人を騙すというのは、その人をバカにするということです。
そして、人をバカにすると自分がバカを見ることになります。
なぜならウソをつく人のことなど、誰も信頼しないからです。
平気でウソをつく人は、他の悪いことも平気でします。
「ウソをつく」ということは、全ての悪行為の大もと、強力な応援団なのです。
(そういえば日本では、ウソつきは泥棒の始まりとも言いますね?)
ブッタは、「ウソをつく人にできない悪行は何一つない」とおっしゃっています。
ウソをつく人にはすごくおかしな勇気がついて来ます。
それは、どんな悪い罪でも犯してやろうとする勇気です。
けれどもそれは他を害し、自己破壊に至らせる勇気ですから、決してもってはならない勇気なのです。
(略)
それから事実であっても言ってはいけないこともあります。
「ウソをつかない」というのは、事実なら何でも言いなさいということではありません。
その事実をばらすことによって、たいへん危険な結果になるようなことは、言ってはいけないのです。
(略)
その瞬間、なぜ智慧がすぐに出て来ないか(真実や事実ではないことを言ってしまうのか)と言うと、”戒律” を守っていないからなのです。
「ウソを言わない」と決めれば智慧が働いて、すぐにその場で言うべき言葉が出てくるでしょう。
(つまり、普段から意識してウソをつかないようにしていれば、言い間違えをしたり言葉につまることなくなる、本当のことを適切に言えるようになるということ、と思います)