スピリチュアル レッスン

スピリチュアリズムの学びや経験から得たことや、自分自身の変化を記録してゆきます

肉体の死を迎えた時、何が起きるか? 安らかな死を迎えるため必要なこと(2)




連載2回目です。


スピリチュアリズムの父、アラン・カルデックの名著から、「肉体が死を迎える際に起きること」、「安らかな死と霊界への移行をするため、今から心がけておくべきこと」についてお送りしています。


こちらの本からお借りしています。
(残念ながら絶版になった模様です)

天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」

(※ この本の出版元は著名な宗教団体の系列会社です。価値ある素晴らしい内容なのにこの点は残念でなりません)


(第一回)臨終の際、身体に起きること

(第三回)死後に激しい苦痛が襲うケース(自死の場合他) 

(第四回)安らかな死を迎えるため今からすべきこと Coming soon



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第一章 (死によって)魂と肉体が分離するとき


病気や病気や老衰で死んだらどうなる?


病気や老衰による自然死の場合、生命力は徐々に衰えるので、幽体と肉体の分離も徐々に進行する。


また、魂の浄化が進み、関心が地上の物質から完全に離れている人の場合、実際の死よりも前に分離が進行していることが多い。
肉体はまだ有機的生命を保っているが、魂がすでに霊的生活に入り、肉体とは本当にかすかに繋がれているだけといった状態になっているので、心臓が停止すれば、電子線(※ シルバーコード)はただちに切れる。



こうした状況では、霊は既に明晰さを取り戻しているので、肉体生命が消えていく様子をつぶさに観察することができ、なおかつ、肉体から離れられることを喜ぶ。

このような人の場合、意識の混濁はほとんど生じない。 ほんの一瞬、平和にまどろんで目を覚ましたという感じであり、えも言われぬ幸福感を感じつつ、希望に満たされて霊界に還っていくのである。


物質的で官能的な人間、つまり霊的ではなく肉体的な生き方をした人間、
霊的生活に何の意味も見出せなかった人間、
精神生活に何のリアリティも感じなかった人間、

の場合、魂と肉体の結びつきは非常に強固なものとなっている。


死が近づくと分離は徐々に始まるが、多くの場合、困難を伴う。
いまわの際に痙攣が起こるが、これは電子線を切ろうとする霊に対する肉体の抵抗が大きいために起こるものである。


また、時には霊が肉体にしがみつくので、激しい力でそれを引き離さなければならず、そのために痙攣が起こる場合もある。


あの世の存在を知らないと、それだけ激しく肉体に執着する。

いつまでも肉体に入った状態でいようとするのである。
全力を振り絞って肉体の中に止まり続けようとするために、時には、分離のための闘いが、数日、数週間、さらには数ヶ月かかることもある。



こういう状態では、霊の意識は混濁状態にあるものと思われる。
死のはるか前に意識の混濁は始まるのだが、だからといって楽になるわけではない。

訳が分からず死後にどうなるか見当もつかないので、それだけ苦悩が増すのである。


「やっと死ねたと思ったら、それで終わりではなかった」というわけである。
混乱は続く。



「自分は生きている」と思うのだが、物質界で生きているのか、霊界で生きているのか、はっきりしない。
実際にはもう病気ではないのだが、それでもまだ症状が続いているように感じられる。



脱・物質化が進み、十分に浄化されている霊の場合、状況は全く異なる。
肉体と霊を結ぶ電子線は非常に弱くなっているので、何のショックもなしに切ることができる。


また、死後に自分がおもむく場所について熟知しているので、彼にとっては病気による苦痛は試練であり、死は解放でしかない。

従って、心は平静であり、諦念が苦悩を和らげる。


死の瞬間には、電子線は一瞬で切れるので、苦痛は全くない。
彼にとって、死とは、自由への目覚めにほかならない。
魂は、重い体から解放され、喜びに満たされ、はつらつとしている。


***


つづく


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